《十字軍》は本当に去らなければならなかったのか?
2020年6月20日2020年6月10日、マジックのすべてのフォーマットで以下のカードが禁止された。
《Invoke Prejudice》
《Cleanse》
《Stone-Throwing Devils》
《プラデッシュの漂泊民/Pradesh Gypsies》
《Jihad》
《Imprison》
《十字軍/Crusade》
ウィザーズ・オヴ・ザ・コースト社は以下の声明を出している。
人種差別を想起させる描写についての声明
https://mtg-jp.com/reading/publicity/0034052/
https://magic.wizards.com/en/articles/archive/news/depictions-racism-magic-2020-06-10
(↑原文。英語だが、できれば読むべき)
これに対する反応の記事をいろいろな人が書いていて、読んだ。
モノに罪はない、という常識
https://note.com/zoe343/n/n539642d34b53
MtG:人種差別的な要素を含むとされる7種のカードがあらゆるフォーマットでBANされる
http://ruinsforgotten.gger.jp/archives/23294868.html
Magic: the Gatheringにおける「人種差別的表現」による禁止改訂について思うこと
https://sylph01.hatenablog.jp/entry/20200612/1591890475
「マジック・ザ:ギャザリング」、人種差別を想起させるカード7枚が全フォーマットで使用禁止に。その背景にあるもの、今後のプレイにもたらす影響とは?
https://hobby.watch.impress.co.jp/docs/special/1258959.html
失われたもの。
https://ancovered-mochi.hatenablog.com/entry/2020/06/11/214431
思うところはいくつかあるが、個人的には三つの論点があるように思う。ひとつはフィクションにおける差別表現について。もうひとつは個々のカードが差別に当たるかの判断について。最後のひとつはウィザーズ社の対処が正しかったのかどうか。これらを混ぜて語ってしまうと論点がぼやけるし正しい議論ができない。どこを問題とし、どこを妥当とするかについては独立した判断をするべきだ。とはいえ、この下にある文章にも、ふたつ以上の論点が混じってしまっている箇所はある。きっちり切り分けて論じることができないことが、本件をますます難しいものにしているのだろう。
まずはフィクションにおける差別表現について。
本件は Black Lives Matter の延長線上のどこかにある話、ということにおそらくはなるのだろう。フィクションに波及した話として自分の目に入ったのは『風と共に去りぬ』が一部の動画配信サービスで一時的に配信停止になるというニュースで、たとえフィクションであろうとも過去の差別表現から目を背けることはできない時代になっているという意味では同一のカテゴリの話と言える。もちろん違うところもある。『風と共に去りぬ』はもろに米国の南部を描いた話であり、ど直球の差別がまかり通っていた世界が普通に描かれている。そして少なくとも当時の作り手の視点からはそれは特段おかしなことではなかったのだ。動画サービス側では再配信の際には注釈や解説を付する一方で作品そのものには手を加えない予定だというが、妥当な対応ではないかと思う。
ひるがえってマジックではどうか? マジックに登場する世界はすべて架空のものだ。背景にあるのは架空の世界の架空の物語であり、実在の世界とリンクはしていない。だからたとえその中の表現が差別的に感じられるとしてもそれは架空の世界の表現であって、非実在の差別なのだ――という主張はあり得るだろう。しかしそれは極めて危うい主張だ。架空世界はいくらでも現実世界に似せることができてしまうからだ。この主張を押し通すのは、われわれは架空世界の皮を被って差別的表現をしてきましたが反省はしていませんというのに限りなく近い。
今回のカードでいうと、《Invoke Prejudice》については弁解の余地はないように思う(これが本件をより深刻なものにしている)。あのカードイラストを KKK 以外のものと認識するのは難しい。これを差別表現でないということはできないだろう。
そして、これが TCG の他のコンテンツと一番大きく違うところなのだが、《Invoke Prejudice》はもし今回の禁止がなければ今でもデッキに入れることができて、それを選択するのはひとえにプレイヤーの意思なのだ。カードが刷られたのは 25 年以上前なのだけど、それをデッキに入れるのは現在の(そしてプレイヤーひとりひとりの)選択ということになる。「このカードを使う」という純粋にゲーム上の選択と、「この差別的なイラストを対戦相手に見せる」という表現上の問題が不可分であるのがトレーディングカードゲームの難しいところだ。「ゲーム上の選択なのだから差別の意図はない」と主張することは自由だけれど、それには上述したのと同じ論理が待っている。ゲーム上の選択を隠れ蓑に差別的なカードを使う者を容認するのか、という話になってしまう。そんな話からほんとうに差別の意図が全くない大多数の善良なプレイヤーを守るためにも、ウィザーズ社はなんらかの立場の表明をしなければならない。それが今回の声明であり、七枚のカードの禁止だったのだと自分は理解している。少なくとも今後マジックプレイヤーは、それらの「差別的表現」を含んだカードを手札からプレイしておまえは racist だと言われる危険からは永久に守られたことになる。
個別のカードの判断について。
今回禁止が発表されたカードは冒頭に掲げた七枚だが、ウィザーズ・オヴ・ザ・コースト社はわずかに先述した《Invoke Prejudice》について The card is racist と書いているだけで、それ以上詳しい理由について記していない。他のカードについても that are racist or culturally offensive であるとだけ書かれている。事情は理解できる。詳しい理由やロジックを書けば、おそらくそのロジックを援用して今回の七枚以外のカードをつるし上げようとしてくる者があらわれるだろう。だが、理由が書かれていなければいないで人間は邪推をするものだし、余計なことまで考えてしまう。その意味ではかなりもどかしい。
ただ、フレイバーだけが問題とされるべきだ、と自分は考えている。すなわち、カードに含まれる要素のうち、カード名、カードイラスト、フレイバーテキストだけが問題とされるべきで、マナ・コストやルールテキストは問題とされるべきではないと考えている。おそらくだが、ウィザーズ社も似たようなことを考えているのではないかと思う。
こんなカードがあったとしよう。
これに穏当な(*1)イラストがついていれば問題にされることはあり得なかっただろう。もちろんこのカードは《Invoke Prejudice》とマナコストとカードテキストは全く同じである。
他の六枚のカードについても、この例と同様、カードの機能のみが今回の禁止を招いたわけではないであろうことは概ね想像がつく。フレイバーから切り離された時に、それぞれのカードに racist or culturally offensive な要素があるとは判断され得ない。カードテキストは機能をあらわしているのであって、そこになんらかの表現を見いだすことは基本的には勇み足に当たるように思われる(*2)。
それを踏まえて禁止となった理由を考えてみると、《プラデッシュの漂泊民/Pradesh Gypsies》は明らかにカード名がだめ。《Imprison》は褐色の肌の人と鉄の仮面のイラスト(おそらくは後者がなければ問題にならなかった)。《Stone-Throwing Devils》はイスラム教を揶揄する文脈があるらしく、《Cleanse》は民族浄化を思わせるカード名がまずいのかもしれない。
《Jihad》と《十字軍/Crusade》はいずれも実在の宗教による軍事活動で、この二枚については自分にとっては理解が難しい。あるいは単にその事実がだめなのかもしれない。(もう少し正直に言えば、この二枚については sylph01 氏の「踏み込みすぎだろう」という感覚が自分に一番近い。)
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(*1) 穏当なイラストとはどのようなものだろうな、とあらためて考えずにはいられないが。
(*2) こんなこと――カードテキストに表現を見いだすな――を言ったらカードゲームのデザイナーには怒られてしまうだろうが、ここではあくまで本件の文脈での話ということでご理解いただきたい。
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ウィザーズ社の対応が正しかったのかどうかについて。
個別のカードをまるごと禁止するのはやりすぎだったのではないか、と思う。理想を言えば、イラストやフレイバーテキスト、場合によっては(一般的には禁じ手ではあるが)カード名を差し替えた、“差別抜き版”を作るべきだったのではないか(*3)。そして、どうしても今回の七枚のカードを今後も使いたい人には、カードを送ってもらえば交換に応じる、というような措置を講じるべきだったのではないか。こうすれば、はっきりしたメッセージをふたつ発することができる。ひとつは、フレイバーにあらわれた表現だけが問題であった――すなわちカードテキストには単体では問題はないということ。もうひとつは、既にカードを持っているひとはそのカードを使う権利を損なわれないこと。コレクションとして持っていたい人は、旧版を持ちつづける自由はもちろんある。ただ現在行われている大会という場で表に出すのはやめてね、新しい版を使ってね、というのは妥当なお願いではないかと思うのだ。
ただ、ものすごくコストがかかることは明白で、オペレーションとしてあまり現実的ではないようにも思われる。
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(*3) これも sylph01 氏が指摘しているが、数々の再録を経た《十字軍》においてはすでに“差別抜き版”と呼べるエディションが存在しているのではないかと思われる。もっとも、カード名そのものが問題とされたのであればどうしようもないが……。
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もうひとつ、その一歩手前で、そもそもこれらの特定のカードの名前を挙げることが適切だったのかという疑問はある。これは線を引いてしまう行為だからだ。ひとたび線が引かれればそれを無くすことはできないし、線を手前に動かそうとする動きも発生することだろう。そして、zoe.氏が指摘するように、カードを名指しすることが、そのカードをかつてプレイしていたプレイヤーに対して「あなたは知らないうちに差別的行為に荷担していました」という誤ったメッセージとして受け取られかねない。だから個別のカードを挙げるのではなく、もっと包括的に「過去の価値観に基づくまずかった表現はあったが、カードに罪はなく、ましてそのカードをデッキに入れるプレイヤーには全く罪はない。」という声明を出すだけですませるわけにはいかなかったのか。
だが、あらためて考えるとやはりそういうわけにはいかなかったのだろうと思う。
もち饅頭氏のこの意見に(「言いがかり」という言い回しの是非はともかく)同意する。全体としても、この方の主張が自分の感じていることと一番近かったように思う。特に以下のくだりは大切だと思っている。
それが感じられればこれほどもやもやすることもなかったのではないかと自分も思う。
この声明の後にウィザーズ社がした「今回がすべてではない」という発言は、自分はむしろよい対応だと考えている。
問題ないと判断したカードを問題ないと言い切ってしまうことにもわずかながらリスクが存在する。どこにどのように線を引いたとしてもグレイゾーンに属するカードは必ず出てくるからだ。そしてクレームをつける側は「十字軍はだめと認めたのに○○は軽視するのか」と言うことができてしまう。これが線を引くことの怖さなのだ。だから、今回の七枚以外のすべてのカードを曖昧な状況に置くことが、逆説的に安全を保つ方法となる。一番正しいやり方ではないかもしれないけれど、現実的にうまくいく方法としてはまずまずよいのではないかと思う。
最後に、《Invoke Prejudice》の multiverse ID について。信じがたいことだが、これは本当に偶然のようだ。multiverse ID を1から表示していくと、アルファのカード、ベータのカード、アンティキティーのカード……と順に出てくる。1398 からがレジェンズのカードで、1427 からが黒、1470 からが青となっている。そして《Glyph of Delusion》、《In the Eye of Chaos》、《Invoke Prejudice》、《対置/Juxtapose》、《Land Equilibrium》、と並んでいる。この順番は Whisper Card Database で調べて出てくるリストとまったく同じだ。1 から全部調べたわけではないが、作為があるようには自分には思われなかった(実をいうとかなり疑っていた)。
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誤りがあったらコメント欄で指摘してほしい。意見も歓迎する。自分と違う意見は大歓迎する。実際のところ、このエントリの内容にはあんまり自信がない。
《Invoke Prejudice》
《Cleanse》
《Stone-Throwing Devils》
《プラデッシュの漂泊民/Pradesh Gypsies》
《Jihad》
《Imprison》
《十字軍/Crusade》
ウィザーズ・オヴ・ザ・コースト社は以下の声明を出している。
人種差別を想起させる描写についての声明
https://mtg-jp.com/reading/publicity/0034052/
https://magic.wizards.com/en/articles/archive/news/depictions-racism-magic-2020-06-10
(↑原文。英語だが、できれば読むべき)
これに対する反応の記事をいろいろな人が書いていて、読んだ。
モノに罪はない、という常識
https://note.com/zoe343/n/n539642d34b53
MtG:人種差別的な要素を含むとされる7種のカードがあらゆるフォーマットでBANされる
http://ruinsforgotten.gger.jp/archives/23294868.html
Magic: the Gatheringにおける「人種差別的表現」による禁止改訂について思うこと
https://sylph01.hatenablog.jp/entry/20200612/1591890475
「マジック・ザ:ギャザリング」、人種差別を想起させるカード7枚が全フォーマットで使用禁止に。その背景にあるもの、今後のプレイにもたらす影響とは?
https://hobby.watch.impress.co.jp/docs/special/1258959.html
失われたもの。
https://ancovered-mochi.hatenablog.com/entry/2020/06/11/214431
思うところはいくつかあるが、個人的には三つの論点があるように思う。ひとつはフィクションにおける差別表現について。もうひとつは個々のカードが差別に当たるかの判断について。最後のひとつはウィザーズ社の対処が正しかったのかどうか。これらを混ぜて語ってしまうと論点がぼやけるし正しい議論ができない。どこを問題とし、どこを妥当とするかについては独立した判断をするべきだ。とはいえ、この下にある文章にも、ふたつ以上の論点が混じってしまっている箇所はある。きっちり切り分けて論じることができないことが、本件をますます難しいものにしているのだろう。
まずはフィクションにおける差別表現について。
本件は Black Lives Matter の延長線上のどこかにある話、ということにおそらくはなるのだろう。フィクションに波及した話として自分の目に入ったのは『風と共に去りぬ』が一部の動画配信サービスで一時的に配信停止になるというニュースで、たとえフィクションであろうとも過去の差別表現から目を背けることはできない時代になっているという意味では同一のカテゴリの話と言える。もちろん違うところもある。『風と共に去りぬ』はもろに米国の南部を描いた話であり、ど直球の差別がまかり通っていた世界が普通に描かれている。そして少なくとも当時の作り手の視点からはそれは特段おかしなことではなかったのだ。動画サービス側では再配信の際には注釈や解説を付する一方で作品そのものには手を加えない予定だというが、妥当な対応ではないかと思う。
ひるがえってマジックではどうか? マジックに登場する世界はすべて架空のものだ。背景にあるのは架空の世界の架空の物語であり、実在の世界とリンクはしていない。だからたとえその中の表現が差別的に感じられるとしてもそれは架空の世界の表現であって、非実在の差別なのだ――という主張はあり得るだろう。しかしそれは極めて危うい主張だ。架空世界はいくらでも現実世界に似せることができてしまうからだ。この主張を押し通すのは、われわれは架空世界の皮を被って差別的表現をしてきましたが反省はしていませんというのに限りなく近い。
今回のカードでいうと、《Invoke Prejudice》については弁解の余地はないように思う(これが本件をより深刻なものにしている)。あのカードイラストを KKK 以外のものと認識するのは難しい。これを差別表現でないということはできないだろう。
そして、これが TCG の他のコンテンツと一番大きく違うところなのだが、《Invoke Prejudice》はもし今回の禁止がなければ今でもデッキに入れることができて、それを選択するのはひとえにプレイヤーの意思なのだ。カードが刷られたのは 25 年以上前なのだけど、それをデッキに入れるのは現在の(そしてプレイヤーひとりひとりの)選択ということになる。「このカードを使う」という純粋にゲーム上の選択と、「この差別的なイラストを対戦相手に見せる」という表現上の問題が不可分であるのがトレーディングカードゲームの難しいところだ。「ゲーム上の選択なのだから差別の意図はない」と主張することは自由だけれど、それには上述したのと同じ論理が待っている。ゲーム上の選択を隠れ蓑に差別的なカードを使う者を容認するのか、という話になってしまう。そんな話からほんとうに差別の意図が全くない大多数の善良なプレイヤーを守るためにも、ウィザーズ社はなんらかの立場の表明をしなければならない。それが今回の声明であり、七枚のカードの禁止だったのだと自分は理解している。少なくとも今後マジックプレイヤーは、それらの「差別的表現」を含んだカードを手札からプレイしておまえは racist だと言われる危険からは永久に守られたことになる。
個別のカードの判断について。
今回禁止が発表されたカードは冒頭に掲げた七枚だが、ウィザーズ・オヴ・ザ・コースト社はわずかに先述した《Invoke Prejudice》について The card is racist と書いているだけで、それ以上詳しい理由について記していない。他のカードについても that are racist or culturally offensive であるとだけ書かれている。事情は理解できる。詳しい理由やロジックを書けば、おそらくそのロジックを援用して今回の七枚以外のカードをつるし上げようとしてくる者があらわれるだろう。だが、理由が書かれていなければいないで人間は邪推をするものだし、余計なことまで考えてしまう。その意味ではかなりもどかしい。
ただ、フレイバーだけが問題とされるべきだ、と自分は考えている。すなわち、カードに含まれる要素のうち、カード名、カードイラスト、フレイバーテキストだけが問題とされるべきで、マナ・コストやルールテキストは問題とされるべきではないと考えている。おそらくだが、ウィザーズ社も似たようなことを考えているのではないかと思う。
こんなカードがあったとしよう。
《狭量な淘汰》 (青)(青)(青)(青)
エンチャント
対戦相手1人が、あなたがコントロールするクリーチャーと共通する色を持たないクリーチャー呪文を唱えるたび、そのプレイヤーが(X)を支払わないかぎり、その呪文を打ち消す。Xはそれの点数で見たマナ・コストである。
これに穏当な(*1)イラストがついていれば問題にされることはあり得なかっただろう。もちろんこのカードは《Invoke Prejudice》とマナコストとカードテキストは全く同じである。
他の六枚のカードについても、この例と同様、カードの機能のみが今回の禁止を招いたわけではないであろうことは概ね想像がつく。フレイバーから切り離された時に、それぞれのカードに racist or culturally offensive な要素があるとは判断され得ない。カードテキストは機能をあらわしているのであって、そこになんらかの表現を見いだすことは基本的には勇み足に当たるように思われる(*2)。
それを踏まえて禁止となった理由を考えてみると、《プラデッシュの漂泊民/Pradesh Gypsies》は明らかにカード名がだめ。《Imprison》は褐色の肌の人と鉄の仮面のイラスト(おそらくは後者がなければ問題にならなかった)。《Stone-Throwing Devils》はイスラム教を揶揄する文脈があるらしく、《Cleanse》は民族浄化を思わせるカード名がまずいのかもしれない。
《Jihad》と《十字軍/Crusade》はいずれも実在の宗教による軍事活動で、この二枚については自分にとっては理解が難しい。あるいは単にその事実がだめなのかもしれない。(もう少し正直に言えば、この二枚については sylph01 氏の「踏み込みすぎだろう」という感覚が自分に一番近い。)
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(*1) 穏当なイラストとはどのようなものだろうな、とあらためて考えずにはいられないが。
(*2) こんなこと――カードテキストに表現を見いだすな――を言ったらカードゲームのデザイナーには怒られてしまうだろうが、ここではあくまで本件の文脈での話ということでご理解いただきたい。
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ウィザーズ社の対応が正しかったのかどうかについて。
個別のカードをまるごと禁止するのはやりすぎだったのではないか、と思う。理想を言えば、イラストやフレイバーテキスト、場合によっては(一般的には禁じ手ではあるが)カード名を差し替えた、“差別抜き版”を作るべきだったのではないか(*3)。そして、どうしても今回の七枚のカードを今後も使いたい人には、カードを送ってもらえば交換に応じる、というような措置を講じるべきだったのではないか。こうすれば、はっきりしたメッセージをふたつ発することができる。ひとつは、フレイバーにあらわれた表現だけが問題であった――すなわちカードテキストには単体では問題はないということ。もうひとつは、既にカードを持っているひとはそのカードを使う権利を損なわれないこと。コレクションとして持っていたい人は、旧版を持ちつづける自由はもちろんある。ただ現在行われている大会という場で表に出すのはやめてね、新しい版を使ってね、というのは妥当なお願いではないかと思うのだ。
ただ、ものすごくコストがかかることは明白で、オペレーションとしてあまり現実的ではないようにも思われる。
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(*3) これも sylph01 氏が指摘しているが、数々の再録を経た《十字軍》においてはすでに“差別抜き版”と呼べるエディションが存在しているのではないかと思われる。もっとも、カード名そのものが問題とされたのであればどうしようもないが……。
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もうひとつ、その一歩手前で、そもそもこれらの特定のカードの名前を挙げることが適切だったのかという疑問はある。これは線を引いてしまう行為だからだ。ひとたび線が引かれればそれを無くすことはできないし、線を手前に動かそうとする動きも発生することだろう。そして、zoe.氏が指摘するように、カードを名指しすることが、そのカードをかつてプレイしていたプレイヤーに対して「あなたは知らないうちに差別的行為に荷担していました」という誤ったメッセージとして受け取られかねない。だから個別のカードを挙げるのではなく、もっと包括的に「過去の価値観に基づくまずかった表現はあったが、カードに罪はなく、ましてそのカードをデッキに入れるプレイヤーには全く罪はない。」という声明を出すだけですませるわけにはいかなかったのか。
だが、あらためて考えるとやはりそういうわけにはいかなかったのだろうと思う。
昨今のウィザーズはそうした人種や性別、民族の問題をとりわけ重要視していますから、何か言いがかりをつけられてもきっちり反論することも、怒る相手が納得できるよう諭すこともできるでしょう。できる筈です。ただし、そうした問題があまり重要視されていなかった大昔に刷られたカードはその限りではありません。
もち饅頭氏のこの意見に(「言いがかり」という言い回しの是非はともかく)同意する。全体としても、この方の主張が自分の感じていることと一番近かったように思う。特に以下のくだりは大切だと思っている。
現実的な手段はともかく、できることならば傷心のプレイヤーに何かしらのフォローがあればベストだったように思います。
それが感じられればこれほどもやもやすることもなかったのではないかと自分も思う。
この声明の後にウィザーズ社がした「今回がすべてではない」という発言は、自分はむしろよい対応だと考えている。
私たちは、これまでに印刷されたすべてのカードについて確認を始めたところです。今回の声明でマジックの歴史における問題あるカードがすべて取り挙げられたわけではありません。今後も引き続き、同様のカードについて適切な措置を講じてまいります。
https://twitter.com/mtgjp/status/1271049861400457216
問題ないと判断したカードを問題ないと言い切ってしまうことにもわずかながらリスクが存在する。どこにどのように線を引いたとしてもグレイゾーンに属するカードは必ず出てくるからだ。そしてクレームをつける側は「十字軍はだめと認めたのに○○は軽視するのか」と言うことができてしまう。これが線を引くことの怖さなのだ。だから、今回の七枚以外のすべてのカードを曖昧な状況に置くことが、逆説的に安全を保つ方法となる。一番正しいやり方ではないかもしれないけれど、現実的にうまくいく方法としてはまずまずよいのではないかと思う。
最後に、《Invoke Prejudice》の multiverse ID について。信じがたいことだが、これは本当に偶然のようだ。multiverse ID を1から表示していくと、アルファのカード、ベータのカード、アンティキティーのカード……と順に出てくる。1398 からがレジェンズのカードで、1427 からが黒、1470 からが青となっている。そして《Glyph of Delusion》、《In the Eye of Chaos》、《Invoke Prejudice》、《対置/Juxtapose》、《Land Equilibrium》、と並んでいる。この順番は Whisper Card Database で調べて出てくるリストとまったく同じだ。1 から全部調べたわけではないが、作為があるようには自分には思われなかった(実をいうとかなり疑っていた)。
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誤りがあったらコメント欄で指摘してほしい。意見も歓迎する。自分と違う意見は大歓迎する。実際のところ、このエントリの内容にはあんまり自信がない。
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