アクセスカウンタを見てみたら 7/25 頃からひさびさに少し人が来たみたいで(つってもほんとに少しで 40 人とかなのだが、このブログ少ない日は来訪者2人とかなので)、なにかと思ったがおそらく木原惇希氏が Hareruya Pros に加入した件がトリガになっているものと思われる。木原氏にまつわる過去の出来事を調べようとした人が昨年 11 月のエントリにたどり着いたということなのだろう。

木原惇希氏の件
https://drk2718.diarynote.jp/201711300056342003/

おれはそのエントリでこう書いている。
容姿や年齢を揶揄するなんて、駄目に決まっているでしょう。それを許すような空気もあってはならないものだ。それについては弁解も擁護の余地もない。

この見解については今も変わっていない。あれはよくなかったし、そういう発言が容認されてはいけないと思う。
でも、それはそれとして、充分な時間を経て本人が反省しているのであれば、“発言者”は許されるべきだとも思っている。少なくとも二度目のチャンスは与えられるべきだ。誰にだって過ちはあるし、今やどんなに過去のちょっとした発言だってインターネットのどこかに残っているかもしれない。そんな時代に、一度の誤りを一生許さないような風潮ができてしまったら、それはひどい世の中だとしか言いようがない。おれは自分がうかつだからそんなのは困る、というのが最大の動機だけど、とにかくこの世界がそんなワンミス即死みたいな世界にはなってほしくない。それに、まったく青臭く聞こえるのを承知で書くけど、おれは「人は変われる」といつも思っている。必ず変われるとは言わない、特に歳をとればとるほどそれは難しくなるし、中々真逆の方向に変われるものでもない。それでも人には変わる余地が常にあるんだよ。そこは絶対に否定したくないのだ。ばからしい信念かもしれないけれど。

だから、晴れる屋の判断は尊重したいし、木原氏の今後にも期待している。優れたプレイヤーであることは疑いの余地がない。自分のかつての発言が間違いなくその相手を傷つけたことをしっかり理解して、その上でゲーム外でもよきふるまいを見せてくれるといいな、と思っている。なんかえらく上から目線になってしまったけれど、でも傍観者の立場としては率直にそう思う。


そのうえで気になるのはけーちん氏の立場だ。
上では許されるべきだと書いたけど、それはあくまで社会的にという話で、当事者間の感情はまったく別の話だ。許すにしろ許さないにしろ、他人にどうこう言われる類のことではない。本人が許したなら許したでいいし、許さないなら許さないでそれも尊重されるべきだ。一年九ヶ月は長いようで短い。あれだけのことを言われた相手が同じ会社とスポンサー契約を結ぶとなれば内心穏やかでないとしてもまったく不思議ではないと思う。
一緒に動画にも出たみたいだし、まあ余計なお世話かな、という気もする。それならそれでいい。

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