多相の街で

2015年12月23日 ポエム
「じゃあ、そろそろあがるわ」
僕が言うと、向かいの席に座っていた新入りが顔を上げた。
「帰ります?」
うん。……きみらどうする。
隣でぐだぐだの長期戦にもつれ込んでいる彼女と奴とに声をかけると、ちょっと間があってから彼女が応じた。や、これけりがつくまでやっていくよ。
投了した方がいいんじゃねえの。
奴が言うのに彼女は笑って応じる。こっちのせりふだね。
よくわからないがふたりとも戦意に満ちているので、僕は見捨てて帰ることにした。鞄を持って立ち上がると、新入りも荷物をまとめてバッグを手にしたところだった。
あたしも今日は帰ります。いいですか? 一緒に駅まで行っても。
いいよ。物騒なこともないと思うけど。
またね。またあした。
わざわざ上体をねじって片手を挙げて別れを告げてくれた彼女を背に、僕たちは店をあとにした。
いつもの癖で雑居ビルの階段を下りそうになるが、思い直してエレベータのボタンを押す。古いエレベータがゆっくり上がってきた。新入りはところ狭しと壁に貼られているポスターを興味深そうに眺めている。
何線なんだっけ、と僕が聞くと、新入りは路線名とその先で乗り換える私鉄の名前を教えてくれた。
……まで一緒ですよね。
新入りは乗換駅の名前を口にした。してみると、僕はどこかのタイミングで住んでる場所を教えたことがあることになる。確かに、ここからだと乗る路線と乗り換える駅は同じになるようだった。
ビルの外に出ると、そこそこの時刻になっていたがそれなりに人通りは多かった。土地柄どちらかといえば若い人が多く、性別で言えば男性の方がかなり多い。駅に向かって歩き出すと、あきらかにいつもと感じが違った。なんだろう、これは——
「ひとつ聞いていいですか?」
新入りがおもむろに言った。
いいよ、とだけ僕は応じた。
サキモトさんとつきあってたことありますか?
いささか思いがけない問いに、僕は間抜けな答えを返してしまった。「なんで?」
いえ、仲がいいので、そういうこともあったのかなと思って。
新入りはあっけらかんと言う。
僕は思わず頬を掻いた。素直に答えるのも癪なような気もするが、かといって隠すほどのことでもないと思う。
いや、ないよ。いちどもない。
そうなんですか。
新入りの声は普通に驚いた様子だった。じゃあ、いまつきあってるひといるんですか。
僕は先ほどとは違う質問なのに同じ応えを返してしまった。なんで?
どうなのかなー、と思って。
いそうに見える? 流石に今度はまっすぐは答えなかった。
見えます。新入りは勢いこんで即答した。歳が近くて、長くつきあってて、あんまりけんかとかしなくて……みたいな感じのひとがいそうです。
サキモトじゃないかそれ。
思わずつっこむと、新入りは笑って首をすくめた。すいません。個人の感想です。なんか思い込みが解けなくてですね。
僕は逆に気になって訊いた。そんなに仲よさそうに見える。
よさそうっていうかいいですよ。大学出てもう10年以上たつんですよね。ちょっとうらやましいです。
そうかな、と口に出しながら、へえ、そんな風に見えるのか、と思う。確かにありがたいとはかねがね思っている。うらやまれるようなものなのかどうかはわからないが。
少し大きな道との交差点で、横断歩道の縞々に踏み込む数歩前に歩行者信号が点滅し始めた。僕が立ち止まると、小走りしかけていた新入りが慌てて足を止めた。
信号待ちで停まっていた10台ほどの自動車が次々に走りだす。目の前の道路はしかし、それほど交通量が多いとは言えない。
僕は思い立って聞いてみた。
彼はカードゲームとかやるの?
いえ、全然。ウノぐらいしかやらないんじゃないかなあ。あたしがマジックやってることも知らないですよ。
むう、そうなのか。……六人目にひきずりこもうと思ったのになあ。
他をあたってもらった方がいいと思います。
こないだ忙しいとか言ってたけど、まだ忙しいって?
あ、それがやっと落ち着いたみたいで、今週は会えそうなんです。
新入りは嬉しそうな笑みを浮かべた。
へえ、それはよかったね! 会えないのってよくないもんなあ。
歩行者信号が青になって、僕は歩きだした。新入りは少し遅れて動き始め、数歩急ぎ足になって僕の横に並んだ。
それで、いるんですか?
あらためて訊いてきたその表情が予想したより真顔に近かったので、僕も真顔で答えた。
「言うなれば、」
意味ありげにためを作って、「来年から本気を出す、というところだ。」
新入りは一瞬言葉に詰まったが、すぐにぱっと笑った。状況はわかりました。……本気が実るといいですね。
むしろほんとうに僕が本気になれることを祈って欲しいものだ、と思ったが、口に出しては、そろそろパーソナルファウルですよそれは、などと適当なことを返しておいた。
ほどなく僕たちはもう一本の道路を越えて、歩道の延長がそのまま広場のようになっているところに出た。広場はさらに駅の入り口にまでつながっていて、つまり駅はもうすぐ目の前なのだった。
僕は足を止めた。
じゃあ、ここらへんで。ここまで来れば大丈夫だよね。
え、帰らないんですか。
うん、まだしなきゃならないことがある。
新入りは僕を見て口を開いたが、言葉は発さず、一秒ほど逡巡してからうなずいた。
——じゃあ、今日のところはこれで。
うん。おつかれさま。気をつけて。
こんど、この辺でご飯食べられるところ教えてください。
新入りは言った。
飯食うとこはいくらでもあるけど、ちゃんとしたところはひとつも知らないなあ。
いいですよ、ちゃんとしたところじゃなくても。
そういうわけにもいかないよ。でもまあ、考えとく。
ありがとうございます。
新入りは歯を見せて笑って、ぴょこんと頭をさげた。じゃあ、失礼します。おやすみなさい。
おつかれさま。
僕はそれだけ言って頭を軽く下げると、踵を返して歩き出した。その瞬間、先ほど雑居ビルから路面に降りたときからずっと感じていたいつもと違う感じが消えていることに気がついた。ようやく僕はそれがなんだかわかった。視線だった。
僕は振り向かずに大きな通りのほうへ向かって歩き出した。
蛋白質と脂肪分と塩分の摂取という悪徳に耽るために。


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タイトルと最後のほうをちょっと変えました(12-23)。
どうでもいいですが、作中時間では12/16の出来事ということになっています。
年内のポエムは多分これで最後だと思います。9月以降狂ったようなペースで書いてましたが、中々楽しくはありました。来年以降どうなるかはちょっとわからないです。


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