原文:PV’s Playhouse - Aggro
http://www.channelfireball.com/articles/pvs-playhouse-aggro/
2012-03-29

→前編はこちら(http://drk2718.diarynote.jp/201308250117455489/

妨害要素のあるアグロ・デッキ

第3の道は妨害要素の入ったアグロです。直接攻撃は入っていませんが、「解答」を持っていて、対戦相手がしたいことを邪魔することができます。妨害には主に2通りあります。打ち消し呪文と捨てさせです。捨てさせを使うアグロ・デッキは「スーサイド・ブラック」以後はぱっとせず、半ば忘れられています。今日日一番近いのは「ジャンド」ですが、「ジャンド」は純粋なアグロデッキではありません。打ち消し呪文の方になると、もう少しサンプルは多くなります。《マナ漏出》入りの「青白人間」デッキはいい例です。でも妨害要素の入ったアグロはスタンダードよりもレガシーで一番多く見られます。直近のグランプリでケイレブ(*6)が使っていたデッキを見てみましょう:

4 《霧深い雨林/Misty Rainforest》
4 《沸騰する小湖/Scalding Tarn》
1 《Taiga》
2 《Tropical Island》
3 《Volcanic Island》
4 《不毛の大地/Wasteland》
4 《秘密を掘り下げる者/Delver of Secrets》
4 《敏捷なマングース/Nimble Mongoose》
1 《漁る軟泥/Scavenging Ooze》
2 《瞬唱の魔道士/Snapcaster Mage》
2 《タルモゴイフ/Tarmogoyf》
4 《渦まく知識/Brainstorm》
2 《Chain Lightning》
4 《目くらまし/Daze》
4 《Force of Will》
1 《二股の稲妻/Forked Bolt》
4 《稲妻/Lightning Bolt》
4 《思案/Ponder》
1 《予報/Predict》
4 《もみ消し/Stifle》
1 《思考掃き/Thought Scour》

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(*6) ケイレブ
ケイレブ・ダーウォード Caleb Durward のこと。筆者のチームメイト。得意フォーマットはレガシーで、CFB のサイトでは ’Legacy Weapon’ を連載中。
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このデッキは「アグロコントロール」の範疇に見えるかも知れません。でも違うのです。これはアグロデッキです。“だけど PV、このデッキには打ち消し呪文が入ってて、ドロースペルと除去も入ってるのに、どうしてアグロコントロールじゃないんだい?”——それは、このデッキではそれらのスペルを絶対にゲームをコントロールするためには使わないからです! おわかりでしょうが、用語なんてものは大して重要じゃありません。デッキをどれほど正しく分類したところでマッチポイントがもらえるわけじゃありませんしね。もしクリーチャーと打ち消し呪文が両方入ってるデッキは全部アグロコントロールって呼びたいんだったらどうぞご自由になさってください。そう呼ぶ本人にとって意味のある分類なのであれば、それはそれでぜんぜん構いません。
実際にマッチポイントを得るためにはデッキを正しくプレイすることこそが大切です。このデッキについてはアグロコントロールみたいにプレイしちゃ駄目で、アグロ・デッキとして振る舞わなければならないという話です。あらゆるコントロール要素は対戦相手を素早く倒すために用いてください。ゲームを長引かせようと考えてはいけません。可能な限り速く相手を仕留めるのです。なにしろこれはアグロ・デッキですから、長引くほど弱くなるカードばかりが入っています。実は私はスタンダードの「デルバー」デッキも既にアグロ・デッキの範疇に入っているのではないかと個人的には考えています。ここで挙げたことが「デルバー」にも大体当てはまるからです。(とはいえあのデッキには充分なコントロール要素が入っていますし、アグロコントロール・デッキとしての振る舞いも要求されます。あれがアグロコントロールでなければ、アグロコントロールと呼ぶべきデッキはこの世に存在しないでしょう。)

さて、正直に言います——私はこのデッキが好きではありません。私はこの手のレガシーのデッキがどうしても好きになれないのです。とにかくあまりにも受けが狭いカードばかり入っていて、人類史上最悪のライブラリトップをしょっちゅう提供してくれるのです。たとえば《もみ消し》——もちろん、序盤は強いカードですよ。でも、中盤以降に引いたら何の役にも立ちません! 《目くらまし》も似たようなものですし、クリーチャーすらかなり早い段階で賞味期限が切れてしまいがちです。全部の要素を都合のいいタイミングで引ければ強いデッキですが、そうでなかったり、対戦相手に邪魔されたりした場合はデッキに入ってるあらゆるカードが弱いです。特にレガシーのようなカードパワーの高いフォーマットでは、私はこういうデッキは好きではありません。このデッキは言ってみればいつ引くかによって10段階で9点になったり4点になったりするカードが山ほど入っていますが、常に8点みたいなカードで作られているデッキの方が好きなのです。
もしこのデッキを使うのであれば、これはアグロデッキであることを忘れないように。対戦相手のカードパワーがこのデッキを凌駕し始める前に、相手を殺してしまわなければなりません(そして相手は必ずこのデッキより高いパワーのカードを入れています)。


アグロ・デッキの構築

アグロ・デッキのいいところは、構築の際においては、状況を考えなくていいというところです。アグロは大抵の場合どんな相手に対しても自分のゲームプランで展開するしかなく、対戦相手がなにをしているかは考えません。何か見知らぬものが問題になったとして、例えば「《密林の猿人》の代わりに《渋面の溶岩使い》を入れておけばよかった」みたいに思うことはあるわけですが、これが致命的な結果につながることはまずないのです。何故ならアグロ・デッキのカードは大体どれも似たような役割で、もしある状況で一方が強ければ大抵の場合あらゆる状況でやっぱりそっちの方が強いからです。「神様私が何をしたというのですか、《稲妻》4枚と《タルモゴイフ》4枚を入れていたのがよくなかったのですか!」なんて叫ぶ羽目には絶対なりません。コントロール・デッキではカードの選択を誤っただけで破滅することもあるのですけどね。
先週の記事に対してどなたかが指摘してくださったのですが、アグロは必ずしもプレイングが簡単ではありません(すなわち、プレイングに自信がないからというだけの理由でアグロ・デッキを選ぶ、というのはおすすめできません)。でも、いまどんなデッキが環境にあるかなんてことを気にしなくていい、という意味ではたしかに簡単ではあります。(*7) つまり、同じように技術は要求されますが、知識は少なくても大丈夫なのです。ですから、2年間マジックから離れていて復帰したばっかりなんて時にはアグロ・デッキはぴったりです。
アグロ・デッキでは、普通は「最速で相手を倒す」ことと「その上で最大限の保険」のふたつがデッキのコンセプトになります。もちろん対戦相手を可能な限り早く殺したいのですが、もしそれが叶わなかったときに自動的に負ける、なんてことは避けたいわけですね。ですから、デッキに1マナのカードを40枚詰め込むなんてことは現実的には無理です。もしそれで本当に速いデッキができたとしても、相手に序盤をしのがれてしまったら勝ち目はなくなってしまいます。絶対に序盤をしのがれない確信があれば話は別ですが(「カルドーザ・レッド」、きみのことだよ)。
逆に、3マナや4マナのカードで手札があふれるような事態も避けなければなりません。そいつらが戦線に到達する頃には、対戦相手もクリーチャーを並べているか回答を用意しているかのどちらかで、そうなるとそのカードたちも大して役には立たなくなっています。ここでマナカーヴという概念が導入されます。“1ターン目にクリーチャーを1体プレイして、2ターン目にはクリーチャーをもう1体か2体、3ターン目には除去を打ってクリーチャーをもう1体追加、もしくはでかいクリーチャーを1体だけ出す。”——という具合にプレイが進むようにデッキを構築したいわけですね。
しかしどのようなマナカーヴが理想であるかというのを決めるのは難しいのです。どういう選択肢があって、どんなデッキを倒そうとしているかによるからです。ただマナカーヴの鉄の掟として「綺麗なカーヴはカードパワーに優先する」というものがあります。すなわち、1マナ域が必要ならどんなカードでも入れなきゃならないんです。たとえそれが大して強くないとわかっていても。逆に、もし3マナ域が充分足りていれば、どんなに強いカードでもそれ以上入る余地はないのです。ひとつセオリーをお教えしておきましょう。厳密に確率の議論をするに足る数字ではありませんが、初手に1マナのカードが来る確率は1マナのカードが8枚なら約 65% で、12 枚なら 81% にまで上がります。それが実際プレイできる確率となると、マナソースが 15 枚入っていればそれぞれ 56% と 70% になります。理想論としては、私はアグロデッキには1マナのクリーチャーを 10-14 枚、2マナを 6-8 枚、3マナを 3-4 枚入れたいと考えています。残りはスペルと土地です。

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(*7) でも、いまどんなデッキが環境にあるかなんてことを気にしなくていい、という意味ではたしかに簡単ではあります。
難しい。原文をこの少し前後も含めて引用するとこうなっている。
Aggro is not necessarily easier to play (i.e. don’t play aggro just because you think you’re worse than the opposition), but it is easier if you are ignorant of what is going on. It requires the same amount of skill but less knowledge, so if you stopped playing for two years and just came back, then aggro is the deck for you.
文字通り訳せば「もしあなたが何が起きているかについて無知であればそれは簡単になります」なのだがそれではあんまりだ。そもそも「何が起きているか」what is going on ってなんのことなんだろう。で、次の文を見るとアグロ・デッキは less knowledge しか要求しないから二年ぶりの復帰戦とかにはマジおすすめ、なのだという。つまりこの knowledge が what is going on であり二年ぶりのプレイヤーが持ち得ないもの、という解釈で「環境に対する理解」だというように解釈してみた。異論がある方はコメントをくだされたし。正直全く自信がない。
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アグロ・デッキにおけるマリガン

アグロ・デッキに入っているカードはどれも状況次第で劇的に強くなります。手札に《密林の猿人》《タルモゴイフ》《稲妻》《流刑への道》と揃っていたら、それぞれのカードは単体で持っているときよりもずっと強力です。これはどんなカードでも言えるように思われるかも知れませんが、必ずしもそうではありません。4ターン目の《神の怒り》は3ターン目に《エスパーの魔除け》を挟んでいようがいまいが強いですが、2ターン目の《タルモゴイフ》は1ターン目にクリーチャーを出しているかいないかでずいぶん違います。3ターン目の《流刑への道》はクリーチャーを並べていれば強い動きですが、相手にプレッシャーをかけることができていないのであればむしろひどいです。そんなわけで、もし初手がいいシナジーを形成していなければ積極的にマリガンするべきです。どのカードも単体では大して役に立たないからです。もちろん手札が減ればシナジーが形成される確率は単純に下がってしまうのですが、それでも賭ける価値はあります。平凡な7枚よりもいい6枚が手に入るだろうからです。たとえば、《密林の猿人》と土地6枚だったら《密林の猿人》は1点です(点数は感覚的につけています)。《稲妻》と土地6枚でも《稲妻》は1点です。《タルモゴイフ》と土地6枚でも《タルモゴイフ》は1点です。でも、《稲妻》と《密林の猿人》(と土地5枚)が揃って手札にあれば、《稲妻》も《密林の猿人》もそれぞれ2点になります。もし《猿人》と《ゴイフ》と《稲妻》が3枚揃えば、それぞれが3点に値します。3枚まとめて来れば3倍どころか9倍になるというわけです。
アグロ・デッキのマリガン判断でよくあるミスは2つありますが、どちらも同じ誤解に基づいています。ひとつめは“もうデッキの中にはそんなに土地が残っていないのだから、これ以上あんまり引くことはないだろう”。まあその通りかも知れません。でも、アグロ・デッキの土地の枚数はどうして少ないのでしょうか? もちろんそんなに多くの土地が必要ないからですが、同時にあまり多くの土地を引くことを許容できないからでもあるのです。5枚の土地が入ってる初手は既に1回マリガンしているも同然です。5枚目が必要になることは滅多にないからです。4枚ですら多いこともよくあります。もっと実のある手札が必要なのです。もうひとつは“1マナクリーチャーは 12 枚も入ってるんだから、1枚ぐらい引けるだろう”。繰り返しになりますが、1マナクリーチャーが 12 枚入ってるのは初手に1枚来て欲しいからであって、土地が多めで1マナ域の入ってない初手をキープするためではありません! もし1マナなしでもキープすることがあると考えているのなら、明らかに経験不足です。この手のデッキを充分使い込んでいれば、1マナクリーチャーの無い初手をキープするにはよっぽど他のカードが強くなければならないことに気づくはずです。(もちろん相手のデッキがわかっている場合なんかには例外があり得るのですが。)


アグロ・デッキのサイドボーディング

アグロ・デッキでサイドボードするときの基本は、コントロールデッキの場合とは違って、メインでやってることをそれ以上尖らせようとしてはいけません。殆どの場合そんなことは不可能だからです。だって、メインデッキにはそれぞれのマナ域で最強のカードを詰め込んでるわけですよ。それに最強の除去と最強の火力が(あるいは最強のジャイグロとか最強の打ち消し呪文が)既に入ってるんです。
ですから、サイドボードを使って、メインとは全く違うことをできるようにしなければいけません。ミラーマッチで特に大きな意味を持つ違う方向性での勝ち筋であったり、厄介なパーマネントへの対処であったり、相手のサイドボードへのアンチカードであったりです。
一般的に、サイドボード後の方がゲームの速度は落ちます。どんなデッキでもサイドボード後には必ず軽い(コストの低い)妨害カードが入ってきます。逆にコンボを相手にしている場合はこちらが妨害カードを入れることになります。いずれにしても展開は遅くなるわけです。これによって、速さだけのカード(先週の私の記事でも書いたとおり《ゴブリンの先達》や《ステップのオオヤマネコ》といったカードです)はかなり価値を落とし、速度はなくてもカードパワーの高いカード(《聖遺の騎士》《イーオスのレインジャー》)がずっと強くなります。速度任せに相手を倒すことはもはや不可能で、より粘り強い構成にならざるをえなません。

コントロール・デッキ相手の時は、アグロ側はサイドボードからそれほど多くのカードを入れません。抜くカードは除去か火力です。相手がコントロール色を強めるほど火力は弱くなります。手元に6点分の火力があるけど相手のライフは 12 残っていてこちらのクリーチャーは皆殺しにされた後、みたいな状況が起こりやすくなるからです。もし相手がクリーチャーを使ってくるタイプのコントロール・デッキだった場合(すなわち、単体除去を打ってからタイタンを出してくるようなデッキです)、火力が必要になるかも知れません。相手がひとたびデカブツにたどり着いてしまえばこちらのクリーチャーはなにもできなくなってしまいますから、相手のデカブツを殺す手段が欲しいのです。
サイドボーディングでもっとも重要なのは、またしてもマナ・カーヴです。不適切なサイドボーディングをすればマナ・カーヴは簡単に崩れてしまいます。それは避けなくてはいけません。2006 年の世界選手権でこんなことがありました。私たちはエクステンディッドで「ボロス」を使っていて、メインデッキに4枚の《溶鉄の雨》をとっていました。サイドボードからコントロールデッキ相手には《硫黄の渦》を入れるプランです。そうすると代わりに《溶鉄の雨》をサイドアウトしなければなりません。実のところ《雨》はコントロール相手でもそう悪いカードではなく、単純なカードパワーでは例えば《銀騎士》よりは上です。でも、3マナのカードがそれだけ入るのは明らかに重すぎ、容認できる構成ではありませんでした。それに《銀騎士》+《硫黄の渦》という手札は《溶鉄の雨》+《硫黄の渦》という手札より明らかに強いです。
二番目に重要なのは脅威の密度です。相手のデッキに対する「解答」を詰め込みすぎるのは禁物です。こっちはアグロ・デッキであって、主導権を握らなければならないのです。相手はこちらと1対1の交換を繰り返しながら、高コストの呪文にたどり着いて勝ちを目指します。そういう相手にこちらが《帰化》のようなカードをプレイするのは、相手のするべきことをしてあげているようなものです。相手の脅威に対応するカードは大抵の場合無意味です。たとえその脅威が非常に強力なものであってもそれは変わりません。私が「フェアリー」をプレイしていた頃、アグロ・デッキが《苦花》を割るためのカードをサイドインしてくるのはむしろ嬉しいことでした。そうすることで相手のデッキパワーは下がり、私は《苦花》無しでも勝てるようになるのです。繰り返しになりますが、カード・パワーよりもデッキの一貫性を重視しなければなりません。
コンボ・デッキに対しては、なにか大砲のようなものを持ちこまなければなりません。中途半端な武器では歯が立たないのです。なにか破滅的で、それでいておなじみのふたつの原則——すなわちマナ・カーヴと脅威の密度の妨げにならない何かが必要です。ヘイト・ベアー(*8)はこの点において素晴らしいです。デッキの速度を落とすこともありませんし、ヘイト・カードが3枚手札に来たけどクロックが無い、なんて事態も決して起きません。欠点としては相手はどのみち除去をサイド・インしてくることで、そうなるとヘイト・ベアーたちは早晩死ぬことになります。理想としては、相手に対処されないヘイト・カードと、除去される可能性はあってもプレッシャーをかけられるヘイト・カードとを両方入れることです——《エーテル宣誓会の法学者》と《精神壊しの罠》を2枚ずつというようなサイドボードが、どちらかだけを4枚サイドにとるよりも絶対によいです。もし《法の支配》を混ぜられるならなおよいです。汎用的な打ち消し呪文、たとえば《否認》のようなカードも中々強いです。が、過度に依存しないことが大切です。クリーチャーが多ければ多いほど打ち消し呪文は強くなるからです。私たちがフィラデルフィアに持ち込んだ「ズー」はある程度の枚数を許容できましたが、あれは《貴族の教主》と《野生のナカティル》《緑の太陽の頂点》が入っていたからで、クリーチャーを1枚か2枚素早く並べて(たとえば1ターン目に《ナカティル》、2ターン目に《頂点》から《ナカティル》)、あとはそいつらで殴りながらマナを立てておく、ということができたのです。

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(*8) ヘイト・ベアー
「相手を阻害する能力を持っている、2マナでパワー2のクリーチャー」の総称。ヘイト・カードは特定の色/カードタイプ/メカニズム/部族/などなどに対抗するカードのことで、ベアーは伝統的に2マナ 2/2 のクリーチャーのことを指す。なのでもともとは阻害能力付きの2マナ 2/2 を指していたが、転じて2マナ 2/1 も含むようになった。本文中の《エーテル宣誓会の法学者》がまさにこのヘイト・ベアー。他に《ガドック・ティーグ》《スレイベンの庇護者、サリア》など、数はかなり多い。
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コントロールデッキを相手にする場合はこれまでの議論は忘れる必要があります。マナ・カーヴと密度のことはとりあえず気にしなくてかまいません。というのは、どれだけ数を並べても相手はそれを除去してきて、こちらはまたクリーチャーを出す、ということの繰り返しなので、むしろ一番最後に場に出すでかぶつが必要になるのです。
アグロ・デッキのミラーマッチでよく使われるサイドボードは大型クリーチャー(《刃砦の英雄》《最後のトロール、スラーン》《ギデオン・ジュラ》《聖遺の騎士》)やカードアドヴァンテージをとれるカード(《台所の嫌がらせ屋》《イーオスのレインジャー》《遍歴の騎士、エルズペス》)、そして戦闘をぶちこわしにする装備品(それが場に出ると相手はこちらのクリーチャーを文字通り全部倒さなければならなくなります)です。少し前までは、アグロ・デッキのミラーで後手を取るのはありうると思っていました(*9)が、今はどうも違うような気がしています。必要なのは、主導権を握って相手のクリーチャーを殺して相手をぶん殴ることか、1ターン目に《壌土のライオン》か《密林の猿人》を出して相手がブロックできないうちにぶん殴ることなんです。
もし直接攻撃のないアグロ・デッキをプレイしている場合であっても大して違いはありません。直接攻撃はふつう相手のクリーチャーを除去するために使われるからです。もちろん白除去や黒除去がどっちゃり手札に来る可能性がないとは言えませんが、まあ滅多にあることではなくて、実際に来なかったとすれば、また私たちはマナ・カーヴに立ち戻らなければなりません——プレイヤーは対戦相手のクリーチャーを皆殺しにすることはできないのですから、クリーチャーの大群を抱えることは大物を一体残すことより意味があります。自分の側にだけクリーチャーが残っているという状況にはほぼたどり着けません。どんなにでかいクリーチャーよりも、綺麗なマナカーヴの方が強いです。

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(*9) アグロ・デッキのミラーで後手を取るのはありうると思っていました
原文は I think it was correct to draw in some aggro mirrors, 。最初「サイドボードからドロースペルを入れるのはありうると思っていた」と訳したが、どうもしっくり来ない。とはいうものの to draw でほんとに「後手を選ぶ」でいいのかどうかもわからない。
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アグロ・デッキのプレイング

マジックの歴史を通じてアグロ・デッキのプレイヤーに突きつけられ続けている問いがふたつあります——すなわち「どれだけ盤面の優位を意識するべきか?」と「プレイヤーを焼くべきかクリーチャーを焼くべきか?」です。もちろんどちらにも決まった答えなんてなくて、正答は常にゲームの状況に左右されます。でも、私たちの決断の助けになってくれる基準は確かに存在します。どちらの問いにおいても、普通は複雑な要素が絡み合っています。ある行動を選べばあなたは何を負かせるか、選ばない場合あなたは何を負かせるか、相手は何を持っていそうだと考えるか。これはとてもあいまいだということはわかっていますが、それでもなるべくわかりやすく説明してみたいと思います。
まず知らなければならないのは、全体除去に勝てるかどうかと、それを迂回するプレイングがどれだけコストのかかるものであるかということです。一番簡単な例はあなたが殆ど勝ちを決めているかそれに近くて、相手に全体除去がない限り覆しようがない、という状況です。この場合、明らかにこれ以上1枚たりとも戦力を盤面に追加してはいけません。真逆の状況を考えてみましょう。何を手札に残していたとしても全体除去を喰らったら負けが確定する状況ですね。この場合は当然盤面に戦力を全展開すべきです。このふたつの中間というのが厄介です。相手に全体除去があっても勝てるかも知れない、でも相手が全体除去を持ってなくても負けるかも知れない。

私は(心の中で)選択肢に評価をつけます。実際に数値をつけてはいませんが、「ありそう」「すごくありそう」「まったくありそうにない」などの評価のための言葉を使っています。さて、では説明のための状況を設定してみましょう。私は 2/2 を2体場に出していて、手札に3枚目を持っています。対戦相手は青黒コントロールでライフは残り2点、土地を3枚コントロールしています。最悪の展開は、土地を出されて《黒の太陽の頂点》を打たれることです。ここでは私は全く盤面に触れる必要がありません。相手が《頂点》を持っていなければどっちみち勝ちですし、もし持たれていたとしても手札に 2/2 を残しておけばかなりの確率で勝てますから。では選択肢を評価してみましょう。2/2 をプレイすれば、《黒頂点》無しの相手には 100% 勝てます。相手が《黒頂点》を持っていれば 50% 。一方 2/2 を温存した場合、《黒頂点》無しの相手に勝てる確率は 90% になりますが、相手が《黒頂点》を持っていても 80% 勝てます。明らかに後者の方がよい成果です。相手が《黒頂点》を持っているかどうかにかかわらず。

さて、では次の状況を考えてみましょう。今度はこちらの 2/2 が3体、そして手札にもう1枚あります。対戦相手のライフは2ではなくて4で、土地も今回は5枚コントロールしています。《黒の太陽の頂点》を考えるなら、基本的には先ほどの状況と同じです——つまり手札の 2/2 は温存した方がよい——が、今回は情報が増えています。相手は《黒の太陽の頂点》を唱える機会が既にあったのに唱えていません。そして他にも要素があります。相手には「土地を置いて《墓所のタイタン》」という動きができて、それをされると手札に残した 2/2 は文字通り何の役にも立たなくなります。《黒頂点》についてだけ考えれば勝率は依然 100/50 対 80/80ですが、もしこちらが 2/2 を出して相手が《墓所のタイタン》を唱えたら 100% こちらの勝ち(*10)で、一方 2/2 を手札に残して相手が《墓所のタイタン》だったらこちらの勝率は 10% しかなくなってしまいます(いちおう《感電破》を引く可能性はあることにしておきます)。この状況なら《黒の太陽の頂点》で全滅するリスクがあっても展開するに値します。2/2 を出して《黒頂点》で全滅してもなお勝てる可能性はあるのに対して、2/2 を残して《タイタン》を出されたら勝ち目はないのですから、出す方がよい、ということになるわけです。
基本的に、あるカードをケアして動くというのはそのカードを打たれるより致命的な状況がありうる限りあまりいい動きとは言えません。そしてその致命的な状況というのは必ずしもタイタンのようにわかりやすく強力なものとは限りません。時には《神の怒り》を避けようとしたばっかりに《流刑への道》を持たれていても負けてしまう状況になってしまったりすることがあって、それは全展開して《神の怒り》を本当に持たれていた場合と同じぐらいひどい状況と言えます。このような場合は仮に《神の怒り》を持たれていたら相当厳しいことになるとわかっていても全展開するのが正解です。それがその状況からの唯一の出口だからです。

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(*10) もしこちらが 2/2 を出して相手が《墓所のタイタン》を唱えたら 100% こちらの勝ち
これは明らかに誤っている。むしろほぼ 100% 負けの状況だ。PV は相手のライフを4点に変えたのを忘れているのではないか。そもそも4点に変えた意味もよくわからない。
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「どっちを焼くべきか」という問いも本質的にはそんなに変わりません——普通はクリーチャーを焼きたいですし、本体火力以外では勝ち目がないという状況だったら本体に火力を打つでしょう。
しかし個人的な経験から言うと、多くのプレイヤーは対戦相手を焼かずに勝てる見込みを明らかに過大に見積もっています——言い換えると、大抵のプレイヤーは対戦相手に火力を打たなさ過ぎる傾向があります。あなたがその“大抵のプレイヤー”に含まれていて、そこは直したいと思っているのだったら、試しにどっちか迷うような状況でもどんどんプレイヤーに火力を打ち込んでみましょう。
世界選手権に向けて「ズー」を調整していた時のことです。私は「ビッグ・ズー」(*11)が「スモール・ズー」(*11)に勝てるものかどうか確信が持てずにいて、それでプレイテストをしていたのですが、その時に私は自分が「スモール・ズー」を使っている時の勝率が他のプレイヤーより高いことに気がつきました。それは私が本体火力を多用するからでした。(*12) スモール・ズー側のプレイヤーが《密林の猿人》をコントロールしていて、相手の《密林の猿人》とにらみ合いになる状況があります。そうなると他のチームメイトたちは相手の《猿人》に《稲妻》を打ってから自分の《猿人》でアタックするのですが、結局その《猿人》も相手の除去で殺されておしまいです。そういう状況では私は火力を温存します。そうこうしているうちに手札に相手を焼き殺せるだけの火力がたまって、相手のクリーチャーの方がこちらのより大きくても関係なく勝ててしまう状況が来ます。一般的にゲームの序盤では比較的クリーチャーの攻撃は通りやすく、相手のクリーチャーを焼いてもそれに見合うだけのダメージをアタックで稼ぐことができますが、中盤以降は火力は少し節約した方がよいです。自分でも気がつかないうちに“バーン・フェイズ”に突入しているかも知れないからです。

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(*11)「ビッグ・ズー」「スモール・ズー」
おそらく「ズー」の中でもややマナカーヴを高めにとって大型クリーチャーを採用しているのが「ビッグ・ズー」で、小型クリーチャー主体のオーソドックスな構成が「スモール・ズー」。
(*12) それは私が本体火力を多用するからでした。
原文は because I was going to the face a lot more。go to the face が判らなかったのでまあこんな意味かな的に訳しているがつまりそれ和訳じゃなくて作文。
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さて、今回はこの辺りにしておきましょう。アグロ・デッキについて私が語れることは大体語ったつもりです。みなさんが楽しまれているとよいのですが。そして来週は、コントロール編!


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久々の和訳。調べてみたが1年以上やってなかったのか。この記事自体も訳し始めたのは多分昨年の今頃だったが、再開したのは先々週でおそらく 10 ヶ月以上は全く手をつけていない期間があったと思う。

例によって誤訳の指摘や「自分ならこう訳す」といった意見は歓迎します。コメント欄へお願いします。

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カテゴリを修正(「トレーディングカード」→「翻訳」)。まあどっちでもいいようなものだが。



コメント

syoei
2013年9月2日9:43

長文翻訳お疲れさまです。読みごたえのあるよい記事でした。

高潮の
2013年9月2日23:43

コメントありがとうございます。記事の感想は書いたご本人に伝えるとよろしいかと。

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