■スポーツという文化
ネタ蒔き時の徒然草 -- 敬遠って悪いことなの?
http://43458.diarynote.jp/201212290149184864/
教育という観点が絡むとややこしくなるのでここでは教育についてはすっぱり外して考えることにする(念のため書いておくとそれはそれで重要な問題だと思っている:リンク先記事の「あいチャン」氏の、特に 19 番目の方のコメントは実に興味深い)。
ネタ蒔き時さんはスポーツを「試合」と捉え、「ショー」と対置しているが、多分これが半分正しくて半分正しくない。特に歴史のあるスポーツではルール以外の部分に不文律が形成されていて、それは多くの場合ショー的な要素を含むが、当事者や、あるいはファンにとってはそれがルールと同等かそれ以上の意味を持っていることが少なくないからだ。
そしてこの不文律は、そのスポーツが国際化したり、歴史を持たない他国に輸出された時には大抵付随していかない。共有されるのはルールだけだ。野球の場合、日本では結構長い歴史を持っていて、それなりの不文律が形成されている。「無走者のときは投手と打者は勝負すべき」というのは、まあ(少なくとも当時は)ある程度確立された不文律と言ってもよいように思う。
スポーツは勝負だ。勝つ確率を最大限に高めるのはもちろんありだ。しかし一方で、スポーツはショーでもあるのだ。ルール上敬遠できるけど勝負するからこそスポーツはショーたりうる。
すべての人に不文律を愛せよとは言わない。しかしまあ、スポーツをする人や見る人には少なからずこの不合理な不文律という奴を愛している人(あるいは単にとらわれている人)が多いのだということは確かだと思う。

この辺りに関連して素晴らしいテキストがあるので興味のある方は一読されたし。1999 年の記事とえらく古いのだが、書かれていることは古びていない。
上原の涙と、海の向こうのホームラン競争
http://www.geocities.jp/nogishi/m-spo/99-10/schu.html
大概の日本人は、やはり柔道では一本勝ちに魅力を感じるのではないだろうか。なぜならそれが圧倒的に「絵になる」からであり、また柔道自体が一本を狙うスポーツであるという信念があるからであろう。一本で勝負が決まる瞬間は、何とも言えない興奮があるのだ。たしかに、勝負という点では欧米の選手の考え方は理に適っている。試合内容は冗長でつまらないが、オリンピックで負けないためには、そういう戦い方も必要かもしれない。でも、それは柔道本来の魅力を失わせはしないだろうか。
(囲い内は引用)

■ポエム
新年だから、というわけでもないけど全員でわいわいやってる話。しかしこの文体だと誰が何言ってるかわかんないどころか全部で何人居るかも読んでる人には伝わらないような気もする。4人なのだが。
private square さんからリンクを張ってもらったのは地味に嬉しかった。自分の力だけで書いた記事でリンクされるのは初めてだからだ。


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