暴行殴打は

2012年7月19日 ポエム
「そうだ、訊こうと思ってたんですよ」
彼はふと思い出したという風に切り出した。
ほんとうに今思い出したみたいに彼はいつも訊く。会話が途切れたときに、望ましくない方向に場の話題が向かったときに、あるいは単に自分の訊かれたくないことを訊かれそうになったときに。
だからわたしも何の気ない質問に答えるみたいに応じる。「なに?」
あの、暴行殴打は当たり前、ってなんなんですか。
ああ、あれ。少し身構えてしまった自分に内心ちょっと可笑しくなりながら、わたしは言う。えっと、スターターってわかる? 75 枚入ってる箱じゃなくて、初心者向けのセットのほう。
ポータルみたいな奴ですよね。あれブースターも出てたんでしたっけ。
どうだったかな。
この手のことにはあまり自信がない。ひとつは知らなくても特に困らないからで、もうひとつにはわりと詳しい人が身近に居るからというのがある。
「とにかく、カナイくんがスターターの、箱に入ってる二人用今すぐ始められますよセットみたいなのを買ってきて、それでマジック始めたんだよね。」
最初は横から見ているだけだったけど、カードゲームの類はわりと好きだったこともあって、すぐに自分でも始めていた。むしろ単純に見えるシステムなのに、展開は毎回驚くほど変わって、ちっとも飽きることがなかった。エキゾチックなイラストやカード名も新鮮で楽しかった。
スターターでほんとにマジック始めた人初めて見ました。彼は言ってすぐにつけくわえる。いやまああなたを初めて見るわけじゃありませんが。
うん、わりと珍しいかも。大抵周りのやってる人に教わって始めるからね。
新鮮だったなかでも、フレイバーテキストというのは不思議な存在だった。ゲーム上機能しないテキストが書かれているカードゲームというのを見た記憶がなかったからだ。あれだよ、フンタの学生がビラまくカードみてえなもんだよ、とカナイくんが言ってたのをどういうわけだか今でも憶えているけど、当時も今もまったく適切じゃない例えだなと思う。
「それで、そのスターターの中に《オーガの戦士》ってカードが入ってたんだけど、4マナ 3/3 のバニラで、フレーバーテキストが『暴行殴打は当たり前。』ってただひとことだけなの。それがなんか可笑しくてね。なんかみんなで口にしてるうちに、インベイジョンが出て、そっちも買ってみようってなって、そしたらそういう名前のカードが入ってた。それがインパクトあったから、未だに言ってるわけ。」
我ながら面白くもない話だな、と思いながら話し終えたのだけど、彼は感心した様子で頷いた。
「勝手に想像してたのとだいぶ違いました。ちゃんとマジックが元ネタだったんですね」
「うん、まあ、そうだね。スターターだけどね」
ありがとうございます。勉強になりました。
彼は笑いながら頭を下げた。感じのいい笑顔だな、と思う。わたしのよくできた後輩。
わたしもちゃんと頭を下げて応じる。どういたしまして。ほんとにどうもいたしてませんけど。
あとのほうは、口には出さない。


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気になる人が居ると悪いので書いておくが、文中の「スターター」はいわゆる「スターター2000」のことで、ブースターはない。

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