前回のエントリで書くの忘れてたが、異世界なのにヤード・ポンド法が出てくるとやはりちょっと萎える。いや、そもそも英語で書かれてるんだからそこは換算してるんだろうと理屈では思うのだが、単位になるとどういうわけか感覚的にはひっかかるのだ。なにがまずいのだろう、と考えてみるに、多分ヤード・ポンド法というのは——少なくとも日本人の感覚では——特定の文化に強く根ざしすぎているのではないか。

「呪われた刃」の別の掲示では「金貨 1000 枚」という表現が出てくる。たとえばこれを換算して「50000 ドル(※レートは適当)」とか書いたりは決してしないわけです。もちろん金貨 1000 枚というのは正確には単位ではない(かも知れない)ので換算が不要なところではあると思うが、仮にこれがイニストラードの通貨単位で表されていたら、それを換算するのはあり得ないだろう。それを日本語にする時「400 万円」とかにもしない。

逆に、特定の国や地域の文化に根ざしていない単位だとそれほど気にかからないように思う。たとえば「1時間」という単位が出てきても不自然には思わない。が、厳密に言えばこの地球で1日が 24 時間って決められてるのは多分に偶然で、他の世界でそうである保証は全然ない。その意味では「1時間」は地球の文化に根ざしている単位だと言えると思うのだけど、それはあまり問題にならないと思う。


・じゃあメートル・キログラムなら気にならないかというと、やっぱりなるんだよね。うーん。「時間」ほどにはワールドワイドな単位じゃないからか、それとも身体的感覚と強く結びついているからか。

・「金貨○枚」ってその点上手い表現で、お金の単位とかめんどくさいことを持ち出さずにだいたいの価値を想像させることができる。金貨 1000 枚は大金だよきっと。500 枚だって、多分ちょっとしたものだ。それをやっときながらレイカさんの手配書でいきなりヤード・ポンド法が出てきたので若干げんなりしたのだった。

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この辺の話は以前書いたトールキン問題と多分密接に関係がある。まあ殆どの人は気にしないことだろうし、気にしてどうなるというものでもない。

神河物語におけるトールキン問題について
http://d.hatena.ne.jp/natroun/20101130#p1
架空世界を舞台にした話を書くときの言葉の選び方
http://d.hatena.ne.jp/natroun/20100709#p1

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Latest Development、新しい訳者が訳してる。ざっと見ただけだけど結構ちゃんとした訳だと思う(←いつもながら上から目線)。このまま訳者が変わるのか、あるいは交代で訳すのか、いずれにしてもいい方向へ向かうのではないかな。以前の記事のコメントで「あまり期待できない」と書いてしまったのだけど、少なくとも予断を下すには早過ぎたし、いささか失礼なことであった。応援している。

コメント

nophoto
あいしゃ
2012年3月23日9:26

呼ばれた気がしましたよ

世界独自の単位は設定されているのかもしれませんが、呪われし刃シリーズは書簡集という形式である以上、そこに単位換算を入れるわけにも行かないでしょうし、かといっていきなり謎の単位と数値を書かれても読者は現実世界でそれがどのくらいの数値になるのかわからない、だけど現実世界の単位を使うと異世界のイメージが……というジレンマはあるんじゃないでしょうか。

単位に限らず、異世界なのにあまりにも現実世界に基づいた単語が出て来ると「あれー?」ってなる、というのは過去にも結構ありました。個人的に印象深かったのは神河謀叛の小説で《今田家の猟犬、勇丸/Isamaru, Hound of Konda(CHK)》が出てきたのですが、犬種が「akita dog」って書かれていたんですよ。神河に秋田あるのかよ! akitaが地名、という意識が無かったのだと思うんですが、欧米の人も例えばイニストラードにセントバーナード犬が出てきたら「いやそれ地名だから」って突っ込むと思うんですがどうなんでしょう。

つきつめすぎるとじゃあ何で英語喋ってんだよ、という所まで行ってしまうんですけどね。ダグ・ベイアーも「言語問題に関しては追求しすぎない方向で」と記事で言ってますし。

竜英傑、蛹
2012年3月23日11:10

コメント失礼します、いつも記事を興味深く拝見させていただいてます。
記事だけではなく、小説中にもインチやポンドも見たことがありますね。

FTや記事や小説は「よその次元の物語を地球次元の我々向けに英訳されている」という設定として考えています。なので全員英語をしゃべっていて、イニストラードの1ヤードはアヴァシン様(か誰か偉い人)の肘から指先までの長さの2倍であって地球の1ヤードと同一ではないが成り立ちが一緒なのでヤードとして訳されている、ですとか、東は太陽が昇る方角を東と呼んでいる、ですとか。

MTGはカードゲームであることが前提であり、物語のためにそれを犠牲にしてはいけないというような趣旨が常々公式でも言われてますので、あまりファンタジー性の追求を突き詰めすぎないように敢えてその辺はカットしてバランスをとっているのではないかと思われます。

nophoto
JFKy9kvk
2012年3月23日17:52

世界観の構築という問題で、一番基本的で、かつどうでもいいことが言語と単位(つまりはトールキン問題)なわけで、ダグの記事にあるとおり「そこらへん突っ込んだ話してると他に語るべきことが話せなくなる」という、利便性優先によるオミットというのは落としどころとして大前提として納得しておくべきこと(ガンダム・リアル問題もそういう「こまけえことはいいんだよ」的落としどころではないかと)ではないでしょうか。脳内で「~(インチ/ポンド/グラム/etc)相当」と変換しておくのがエコにつながると思います。

独自の単位表記を採用しているRPGなどもあるわけですが、たとえ1ほげ=1メートルであっても、「ほげ」と表記されているとわかりにくい/伝わらない→そもそも単純な言い換えならメートルでいいんじゃね? という利便性優先の結論になってしまうわけで。

つまるところ、なぜ現実世界でメートル法を使っているのか、という答えであるとともに、そのテの自転車の再発明は必ずしも人を幸せにはしない、ということでオチがついてしまうと思うのです。

高潮の
2012年3月24日1:33

ありがとうございます。

個人的には「単位換算を入れる」のと「こっちの世界の単位がいきなり出てくる」のとでのリアル度合いに差を見いだせず、それであれば単位換算を入れてくれた方がまだ萎えないで済むのだけど、と思います。また、レイカの手配書きで言えば極端にでかかったり小さかったりせず、しかしやつれている、ということだけ伝えれば充分なので、謎の単位と数字が出てきても別に問題なかったのではないでしょうか。

秋田の話は面白いですね。地名であろうとなかろうと現実世界の犬種を使った時点で表現としてはアウトである可能性は高いので(犬種のネーミングの由来はだいたいこちらの世界の事物であろうと想像できるので。まあ「牧羊犬」とか「土掘り(※テリア)」みたいな一般名詞のネーミングもあるので一概には言えませんが)、丁寧さが欠けた事例ではあるのかなと思います。

英語しゃべるのは仕方がないと思います。でも例えば英語でだじゃれ言っちゃ駄目じゃないかな、と思うのですよね。追求しすぎない方向で、というのは正しいと思います。

高潮の
2012年3月24日1:34

コメントありがとうございます。
なるほど特に珍しい例ではないのですね。ある程度一貫したポリシーなのだと考えてもいいのでしょうか。

概ねその方向で考えるべきということは理解しています。「東」の例はわかりやすいですね。そういう厳密には翻案とでも呼ぶべきものも翻訳の範疇だと考えるということですよね。ただ自分の理解と感覚の間に齟齬があるのでそこら辺は何に由来するのかなということを考えていました。あとヤードの成り立ちは初めて知りました。単に3フィートなのだと思っていました。

カードゲームの設定としてはその辺は考えるに及ばないのでしょう。そこは全く正しいと思いますし異論はありません。

高潮の
2012年3月24日1:35

確かにコストとリターンを考えるとあまり意味はないのかも知れません。「こまけえことはいいんだよ」というのも基本的に正しい態度だろうと思います。そこら辺は理解している心算です。どこかで線を引かなければならないということと、そしてその「どこか」はリアルさよりも利便性に寄った辺りになってしまうということ。
でももう少しだけリアル寄りに線を引いてもいいのではないか、というのが個人的な感覚なのです。中学生の頃D&Dの赤箱で初めて遊んだとき、フィートやヤードは当時の自分にとってはまさに異世界の単位で、それを使っているだけで異世界への没入感があったように記憶しています。なにかそういう感覚が全て捨象されてしまうのは勿体ないというか。

ただ独自の単位表記貫かれると確かにだるいんですよね。『夜の馬』というゲームブックでは長さの単位が全部その世界の単位で、その後に必ず「(約 21.5 センチ)」みたいに書かれていたのですが、正直これはこれでめんどくさいなーと思ったのは否めません。

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