ちょっと和訳ゲージが溜まったので久々に解放してみます。が、想像以上に長かったので前後編にしました。今回は前編。
原文:PV’s Playhouse - How to Lose a Match in 10 Plays
http://www.channelfireball.com/articles/pvs-playhouse-how-to-lose-a-match-in-10-plays/
今回の記事の元ネタは『10日間で男を上手にフル方法』(*1)という映画です。もしこの件について質問があっても、私は自らを犯罪者と認めることを避けるために、答えない権利を行使します(これは『グッド・ワイフ』(*2)で学んだ言い回し)。
さておき、今日の記事ではマジックにおいて試合に負ける原因になり得るミスについて、10種類に分けて説明してみたいと思います。私が考えるに、ミスを直すために最も重要なことはそのミスを認識することです。つまり、自分で自分はミスをしているとわかっている人は半分ミスを直せているようなものなのですが、それでも私がお手伝いできることがあると思います。以下に書くことは全て私が過去に犯したことのあるミスで、残念なことにいくつかのことは未だにしばしばやらかします。
#1 ちゃんとマリガンしない
ゲームの敗北の原因として挙げられるもののうち、単独で原因になりうるものとしてはマリガンが一番大きな割合を占めていることは疑いようがありません。多くのゲームにおいて、マリガンするか否かはゲーム中で最も重要な決断になるでしょう。しかし不思議なことに、マリガンはそこまで重要なものだとは見做されていません。
マリガンについて重要なことは、「灰色の部分」が他の要素に比べるとはるかに大きいということです。優れたプレイヤーを何人か集めて、ゲーム中の特定の状況を例示して議論させたら、殆どの場合おそらく正しいだろう答えにたどり着くことができます。しかしマリガンについてはそうはなりません。ある人はマリガンすべきだといい、ある人はキープすべきだといい、誰ひとりとしてどちらが正しいのか確かな答えを知りません。そしてどうすべきかは個人的なスタイルの問題だということになってしまうのです。これは必ずしも正しい答えが存在しないことを意味しません。単に誰も正答を知らないというだけのことです。
例を挙げると、ルイス(*3)と私は明らかにキープ基準が違います。私はマリガンしすぎる傾向にあり、ルイスはキープしすぎる嫌いがあります。私は自分の基準が絶対正しいと考えていますが(間違ってたら自分の基準じゃないって言い張りますけど)、しかしほんとうにそれが正しいとは言い切れずにいます。なにしろ世界で一番このゲームが上手いとみなされてる人(と、それ以外にも大勢の強いプレイヤー)が私に同意してくれないわけですから。この違いがはっきりわかったのは、世界選手権の時にルイスが私の準決勝のために吸血鬼デッキ相手のテストプレイを手伝ってくれたときのことでした(ちなみに結果的には役に立ちませんでした。マティノンがエフロを負かしてしまったので)。ある局面で、私は《定業》を打ってライブラリの上から《皮裂き》とあとなにかスペル1枚を見ました。私は4枚目の土地を置けておらず、手札には《皮裂き》がすでにありましたから、2枚とも下に送りました。しかしルイスは皮裂きを上に残すべきだというのです。私はその後土地を3枚続けて引いて、下に送った《皮裂き》が手札になかったがために負けました。別のゲームでも殆ど同じような状況になりました――確か今度は《精神を刻む者、ジェイス》が手札にいる時にやはり《定業》で《皮裂き》を見つけたのです。ルイスはやっぱり上に残せと言い、私も今回はそれに従いました。で、ドローが《皮裂き》《ジェイス》と続いて、その次にあった土地を引けないうちに死にました。強欲に行くべきか、安全に行くべきか、どちらが正しいのでしょう? なんとも言えません。どちらもそれぞれに正しい状況があるからです。マリガンについても同じことが言えます。
こういう曖昧な部分があるために、「正しい答えなんてないんだから、つまりこれは完全に個人のプレイスタイルの問題なんだ」と理解してしまっている人が居るのですが、私はそう思ってしまうことこそが最大の問題だと考えています。それは完全な誤りというわけではありません。きわどい手札であれば、個人的なスタイルによって答えが左右されることももちろんあるでしょう。でもとんでもない手札をキープしてしまうプレイヤーは実際に居ます。少し前にリミテッドのグランプリのカバレッジ記事を読んでいたら、1ゲーム目に土地7枚の初手をキープして、2ゲーム目には土地6枚と《法務官の相談》という初手をキープしているというプレイヤーがいました。これはプレイスタイルの問題ではあり得ません。単に間違っています。ええと、この例だと完全確実に間違いとは言い切れませんね。こうしましょう――相手のライフが3点の時でも相手のクリーチャーに《稲妻》を打つのは個人のスタイルの問題か?という話です。あるプレイスタイルは、別のプレイスタイルを完全に上回っていることがある、ということです。
マリガンが適切にできるようになる頃には、マリガンという行為が何を意味しているか理解できている筈です。マリガンとはつまり、1枚カードを失ってでもゲームに勝てる可能性を高めるための選択です。単に手札がよくないから取り直す、というものではありません――好い初手でもマリガンしなきゃならない時もありますし、悪い初手でもキープしなくてはいけないときもあります。
個人的な意見ですが、マリガンに関してリスクが高すぎる選択をするプレイヤーが多い気がします。特に、2マナ域にキー・カードが入っているデッキではその傾向が顕著です。初手に土地が1枚しかないハンドが来るたびに、その2マナのキー・カードの誘惑が待ち受けているからです。例えば、土地なしで《霧縛りの徒党》《霧縛りの徒党》《謎めいた命令》《謎めいた命令》と続いて、ここまではマリガンしても全く惜しくないのですが、その後が土地、《思考囲い》《苦花》と続いたりするのです。私はこういう初手は決してキープしません。もしこれをキープしたら、まあ 30% ぐらいの確率で何もできないまま負けるでしょう。ここからが間違えやすいところなのですが、仮に負けずに済んだところで、勝てるとは限らないのです! 残りの 70% というのは、マジックというゲームに参加できる可能性に過ぎません。私としてはこんな初手をキープするのはよろしくないと思いますが、これでも私が実戦で引き当てる初手に比べれば随分ましです。《思考囲い》《苦花》の初手は確かに強力です。しかし(訳注:土地が1枚しかないのであれば)、マリガンして6枚引き直した初手の期待値の方が上です。私はこの点には堅い信念を持っています。もしこの「土地1枚だけど魅力的な初手」をキープするのを止めれば、少なくともそのために敗れることは減るでしょう。
リミテッドでよくある初手としては、土地1枚ながらも2枚目の土地さえ引き当てられれば回る、というタイプのものがあります。しかしこれも「回る」の定義がどういうものかによります。例えばこんな手を見てみましょう:
《山》《感電波》《銅のマイア》《鉄のマイア》
《マイコシンスの水源》《マイコシンスの水源》《使徒の祝福》
土地1枚の初手に欲しいものがすべて詰まっています。なにもできずに死ぬことはありませんし、2枚目の土地を引き当て次第すぐにでも動き出せます。というわけで、キープしましょうか? いいえ!! この手札は最悪です。この手札の最大の問題は土地が1枚しかないことではありません。何もできないことこそが問題なのです。この手をキープして、すぐに2枚目の土地を引き当てたらどうなるか想像してみてください。できるようになることといえば……さらに土地を伸ばすことだけです! それに加えて、単純に2枚目の土地を引けないまま負ける可能性と、マナを伸ばすためだけにマナを費やしていってぐだぐだになる可能性を考えると、おめでとうございます、あなたは土地事故と逆土地事故が両方ありうる初手をキープしたことになりました! 私だったら先手だろうと後手だろうとこの手札はキープしませんが、多くのプレイヤーは「《感電波》で時間が稼げるし、もう1枚土地を引きさえすればどのスペルも唱えられるようになる」と主張することでしょう。
もうひとつマリガンがゲームの敗北につながるパターンとしては戦略的なものがあります。多くのプレイヤーはマリガンに対して病的な恐怖を抱いているように思われてなりませんが、マリガンというのは単に初手が悪くてそれよりよくなる見込みがあると思えたらその手札を山札に戻すというだけのことです。
私が思うに、「フェアリー」のミラーマッチや「コー・ブレイド」(カウ・ブレード)(*4)のミラーマッチでは、プレイングの腕よりも、悪い初手をきちんとマリガンできるか、の方が勝敗に与える影響が大きいと思います(特にコー・ブレイドにおいて顕著です)。
#2 対戦相手がなにをしているか考えない
マジックは2人用のゲームで、対戦するふたりの間には常に相互作用があります。試合中、自分だけが競技者であるかのように振る舞うプレイヤーは決して強くはなれません。対戦相手は理性的な存在であるということをまず理解しなくてはなりません。相手は自分にとってなにが最良であるかを考えながら、その考えに基づいてプレイを選択しているのであって、決して適当にやっているわけではありません。このことが理解できれば、対戦相手の手札やゲームプランを推測することができるようになりますし、手札にないカードをさも持っているように思わせたり、対戦相手にあなたの得になるようなプレイをさせることさえできるのです。
対戦相手が何を持っているか明らかにわかるようなプレイをしてくることは時々あります。たとえば、「ヴァラクート」デッキを使っている対戦相手が1ターン目に《広漠なる変幻地》を生け贄に捧げて《山》を持ってきたら、相手の手札に《森》が少なくとも1枚、おそらくは2枚あることは殆ど明らかです。持っていなければ、《広漠なる変幻地》で持ってこない理由がありません。
それ自体は大して役に立つとも思えないかも知れませんが、しかしどんな小さな情報でも意味はあるのです。もちろん、演繹的な思考の連鎖の方が重要なのですが。――もし相手が《森》を持っていなければ、《森》を持ってくる筈です。《森》を持ってこなかったということは、実際に《森》をテーブルに置かれたのと殆ど同じくらい確実に、手札に一枚あるということです。もし次のターン、相手が《不屈の自然》でもう一枚《山》を場に出すようなら、たぶん手札にはもう一枚《森》があるでしょう。そうすると、《広がりゆく海》を《森》に貼っても緑マナを潰すことは難しそうです。《海》は《溶鉄の尖峰、ヴァラクート》のためにとっておいた方がいいかも知れません……といった具合に。
M12 のリミテッドをプレイしていて、手札に《踏み荒らし》があったら、クリーチャー同士の交換は避けたいでしょう。ではもし対戦相手がクリーチャーの交換をしてこなかったら? もしかすると相手は《踏み荒らし》を持っているのかも知れません。単純な話です。
時にプレイヤーは、もし少しでも対戦相手の視点に立ってゲームを考えていれば決して考慮する必要のなかったカードについて思い悩んでしまったりすることがあります。大昔のことですが、私はブラジル選手権予選の試合を地元のお店で観戦していました。赤緑対黒赤の対戦で、一方が《抹消》を打ってゲームが振り出しに戻ったところでした。(《抹消》はこのマッチアップではひどいカードだと思いますが、まあここではおいときましょう。)赤緑のプレイヤーは3枚目の土地を置いて、《獣群の呼び声》でトークンを出して、次のターンにはそのトークンで攻撃して相手のライフを2まで減らしました(これでライフは2対2です)。そして3マナを立てたままターンを渡しました。相手はアンタップして、4枚目の土地を置き、手札にある《火炎舌のカヴー》と《燃え立つ死霊》の2枚をじっと見つめたまま長考に入りました。明らかに簡単に下せる決断ではありません。それでも彼は最後には心を決めて、4枚の土地をタップすると《燃え立つ死霊》をプレイしました。赤緑のプレイヤーは何も持っておらず、黒赤のプレイヤーは勝利を決めて安堵のため息をもらしました。終わるなりプレイヤーの友人が訊きました――「なにをそんなに考え込んでたの?」「いや、《ショック》があるんじゃないかと思ってさ……」「ショックがあったらおまえに打ってるよ!」「あ、ほんとだ……」 それまでのプレイを見ていれば持っている筈のないカードにおびえることのないようにしましょう。
ここまでできたら、次のレベルに進みましょう。あなたの対戦相手も、あなたが理性的な存在であることを理解している、ということを理解することです。対戦相手もまさにあなたがやろうとしていることをやろうとしているわけです――あなたの行動から、どういうプランを進めているのかを知ろうとしているのです。昔カイ・ブッディ(*5)が書いたレポートでこんな場面がありました。対戦相手が4枚目の《沼》を置いてから 2/2 でブッディの 6/6 のドラゴンに突っ込んできたのです。カイはその場面について「もし《泥沼病》を持っているなら、どうしてわざわざ《沼》を戦闘前にプレイしたりするだろう? ブロックの一手だ!」と書いています。ここではカイは対戦相手が理性的な存在であることを理解し、相手もまた自分が理性的な存在であることを意識していることをも計算に入れています。もしブロックさせる意図があるのなら、可能な限りそのブロックが危険な選択肢であることを匂わせないようにするでしょう。まとめるとこんな風になります:
レベル1――対戦相手はアタックして《泥沼病》との合わせ技でドラゴンを仕留めなければならないことを理解しています。
レベル2――対戦相手は、もし4枚目の《沼》をプレイすれば、カイがブロックする可能性が下がることを理解しています。なぜならドラゴンを仕留めるのに必要な「《沼》と《泥沼病》」という組み合わせのうち、一方を持っていることを明らかにしてしまうから。
レベル3――カイは対戦相手がレベル2まで理解していることを知っています。だからこそ、「戦闘前に《沼》を置いたから、彼は《泥沼病》を持っていない」という結論に達することができるのです。
もちろん、その対戦相手はカイと互角の思考をしていて、カイが「レベル3」の考えにまで至っていることをわかっているかも知れません。しかし、それほどのマスター同士の対戦というのはあまりありそうなことには思えません。
補遺:2011 年4月9日、「マスター」は「あまりにもマジック界で濫用されすぎたために意味を失ってしまった単語リスト」入りを果たしました。マジック界のためにも、ここでリスト入りしている単語の適切な使い方を説明させてください:
マスター(master):マスターであるということはマジック全般もしくは特定のデッキに関して大変に大変に優れているということです。「グランドマスター」みたいな呼び方が登場しない限りは、誰かをマスターと呼ぶということはその人が世界中の殆ど誰よりも優れていることを意味します。あるデッキを使って小さなトーナメントをひとつふたつ優勝する、程度ではマスターと呼ばれるには程遠いです。
リンガー(ringer):リンガーは見えざる実力者のことを指します――強いのですが、誰もそのことを知らないのです。私の理解が正しければ、この言葉は例えばプロの選手が学生に変装して高校野球に出る、みたいな時に使われる言葉であったと思います。単に「実力者」を指す言葉ではありません。LSV やブラッド・ネルソンはリンガーではありませんし、もう長いことリンガーではあり得ません。みんなが強いことを知っているからです。ここでの「みんな」があなたの知り合い全員という意味ではないことに気をつけてください。あなたの友人のひとりがとても強かったとして、誰もそれを知らなかったとしてもリンガーではありませんからね。「犯罪的に過小評価されている」という言い回しとセットで使われることが多いです。
グラインダー(grinder):グラインダーは単に死ぬほどマジックをやりこんでいる人です。上手いか下手かは関係ありません。
文字通り(Literally):「文字通り」には強調の意味はありません。後ろに来る単語に重要性を持たせる言葉ではないのです。「文字通り」というのは、つまり言葉の意味が書かれている通りだということです。「僕が食べた中で文字通り一番素晴らしいものだった」という文はそれが本当においしかったということを意味せず、単に人生を通じてそれよりいいものを食べたことがないということです。「彼は文字通り負けたことがない」というと生涯成績が無敗ということになります。「君は文字通り biggest barn だ」(*6)といったなら、あなたは大変巨大な建築物でその中に穀物をしまっとける、ということです。「《ステップのオオヤマネコ》に文字通り殺された」だとあなたは既に死んでいますからそんなことは言えません――そしてそんなヤマネコには近づくべきではありませんでした。
ここまでの単語や言い回しを組み合わせるとこんなパワフルなセンテンスが作れます。「彼は文字通り犯罪的に過小評価されてる DI のマスター・リンガーだ」(*7)
#3 「権利」(*8)の感覚をもとに行動してしまう
誤解しないでください――「権利」の感覚を持ってはいけないということではないのです。世の中では権利とか報いとかいう単語は害毒みたいに語られていますが、実際のところそんなことはありません。以前ブラッドが「報い」なんてものがいかに幻であるかについて記事にしていたことがありますし、ギャヴィンは記事の出だしを「報い? 報いなんてどこにもない。」で始めていたこともあります。私は同意できません。私は自分が優れたプレイヤーだと思っていますし、そうなるために長い時間と強くなるための多くの努力を重ねてきました。デッキの選択には慎重に時間を費やしますし、選択のための理由が感情を押さえ込めるように自分をコントロールしています。こういったことが報われてはいけない理由があるでしょうか? もしミスの上にミスを重ねている対戦相手と対戦したら、その相手はやはりミスの報いとして負けるべきではないでしょうか? それはすなわち、ミスを重ねずにプレイできたのなら、その報償として勝利が得られるべきだ、ということにはならないでしょうか?
対戦相手が、現環境の8割のデッキに勝ち目がない白単のライフゲイン・デッキを使っていたとしたら、彼はやはりその選択の報いとして敗れるべきではないでしょうか。私は敗れるべきだと思います。人は、マジックにおける正しい決断に対しては報償を得るべきですし、誤った決断については罰を受けるべきだと考えています。私から見ればひどい選択だとはっきり判るようなデッキを使っているプレイヤーが、対戦運や引きに恵まれて勝っているのを見るといらいらします。私の努力までもがおとしめられたような気がするからです。正しい選択をした人が勝っていると、努力しようという気になります。逆に誤った選択をしたために敗れた時にも、やはりもっと努力しようという気になれます。間違った選択をしている人が勝つのを見ると……ええ、まあ。
強調したいのは、あなたが「報われる権利がある」という感覚を持ってはいけないということです。あなたがあることに対して時間をかけて努力を重ねたのなら、当然その努力は報われるべきだと感じると思います。しかし、その感覚がプレイに影響を与えることはなんとしても避けなければなりません。あなたの努力がどれほどのものであるかは、何が起きるべきかには全く影響しませんし、実際それが起きるとも限りません。私は自分が報われるべきだと感じているプレイヤーをたくさん見ていますし、それだけたくさん居れば実際に報われるプレイヤーもいるでしょう。あなたも報われるかも知れませんが、しかしながら「努力」と「試合中に起きること」には何の相関関係もありません。実際に行われているゲームの中では、報いなんてのは見当違いの概念です。「相手がもう一枚《踏み荒らし》を持ってるなんてあり得ない。ばかばかし過ぎる」などというのは敗北につながる実に素晴らしい考え方です。「さっきのゲームでは9枚連続土地を引けなかったから、今回は土地1枚の初手をキープするよ。土地引き運が溜まってるはずだから。」うん、そうでしょうとも。
この教訓が骨身に沁みたのは、青白の「ストーム」デッキを使ってプロツアーの予選に出ていた時のことです。対戦相手は「ティーン・タイタンズ」(*9)デッキで、当時の私よりも明らかにはるかに腕の落ちるプレイヤーでしたが、引きがかみ合っていて1ゲーム目を取られてしまいました。2ゲーム目の私の初手は土地1枚でした――そこで私は、相手のプレイングはひどいのだから、このゲームは私が勝つに値するのだと考えて、その手をキープしてしまいました。3ターン後には私は棄権していました。そして、対戦相手のプレイングがいかにひどいかということを誰も気にしていないことに気がつきました。
おかしなことですが、大抵の場合、同じプレイヤーが、もっと強い相手と対戦する場合には適切なプレイをできるのです。対戦相手が強いプレイヤーの時は、「相手は《否認》や《安全な道》を持っているかも知れない」と考えるために、それらの呪文を回避することができます。しかし弱いプレイヤーを相手にしていて、そして彼がひどいミスを犯した後なんかだったりすると、「ぷぷ、どうせ《安全な道》なんて持ってるわけないよ……今のターンに引いてなきゃいけないんだ……あり得ない……あんなミスをしたんだから、その報いを当然受けなきゃいけないだろ……」となってしまいます。
まとめると、努力が勝利で報われることはない、などと思う必要はありません。しかし同時に、その報いがあなたを当然勝たせてくれるのだと考えてはいけません。その甘えた考えの代償――逆の意味の「報い」はすぐにでもやってくることでしょう。
#4 ゲームを全体的に考えない
数ヶ月前、ポルトガル語を勉強するために1年間ブラジルに滞在している中国人のグループに、友人経由で紹介されました。何回か会った後、私は彼らと夕食を共にし、その席で「これまでなにをしてきたか」という話題になりました。話の途中でひとりの女の子がこう聞いてきました。「それで、この【マジック】ではなにが一番重要なの?」
多分運と技術のどちらが重要なのかと訊きたいのだろうと私は考えて、少し笑いながら、自分の頭を指差して答えました――「頭脳だよ」。彼女はもう少し詳しく知りたがりました。私は彼女にチェスでは何が一番重要だと思うか訊ねました。こう訊けば「ああ、わかったわ」とかなんとか答えるだろうと決めてかかっていたのですが、彼女は少し間を置くと、正しい言葉を頭の中で探しました。なにしろ彼らはやっとポルトガル語を少々しゃべれる程度で、それも彼らにとっては簡単ではないらしく、流暢とはほど遠い口調でした。それからようやく、「ええと、チェスで重要なのは、次に、その次に、さらにその次に、何が起こるのかを考えること」というようなことを言いました。
その答えを聞いて私は自分が馬鹿なことを言ったと思いました。どこかで彼女を見くびっていたのかも知れません。明らかに彼女は運ゲーかどうかなんてことを聞きたかったのではありませんでした――どういう要素が重要なのかを知りたかったのです。私は答えようとしましたが、答えが出てきませんでした。とても奇妙な気分でした。私の場合、人にマジックについて訊かれて答えに詰まってしまう時は、殆どは答えを知らないのではなくてただどう答えていいかわからないのです。例えば、私はたしかにマジックが何であるかを知っています。でも、それを人に説明しようとするためには多大な努力を要します。
でもこの質問については、単純に私には答えがわかりませんでした。あなたはどうですか?
私はこの会話のあと少し時間をかけて考えてみたのですが、「このマジック」において一番重要なことは、ゲームをひとつひとつの行動の集積としてではなく、全体として考えることだ、という答えを考えつきました。これはチェスについても全く同じことが言えて、彼女の答えは不完全であったと思います――チェスにしてもマジックにしても、重要なのはひとつひとつの動きはすべて大きな全体の絵の中の一部であって、孤立した行動ではないのだということを理解することです。そうするためには、プレイヤーは「次に、その次に、さらにその次に、何が起こるのかを考え」なければなりません。
マジックにおいてはもちろん、10ターン後にゲームがどうなっているのかを予期することは非常に困難です。非公開情報が多いからです。しかし、だからと言って全く判断材料がないかというとそんなことはありません。私はチェスは下手で、そんなに先の手までは読めないのですが、マーテルが私にチェスを教えるときに3つのポイントを教えてくれました。駒を前進させること、盤の中央を支配すること、キングを守ること。私は駒を動かすとき、正確にその後どういう手が続くかは読めないにしても、その動きによって自分がその3つのゴールに向かっているかどうか、あるいは相手がゴールに向かうことを妨げているかどうかを判断することができます。
マジックでも同じです。私はチェスよりはマジックのほうがずっと上手いですが、それでもそんなに先の「動き」を読むことはできません。そうするだけの情報が足りないからです。ですから、プレイというのはゴールに向かっていくことを心がけなければなりません。ここからがチェスと大きく違うところです。マジックでは、局面ごとにゴールが変わり得ます。時には1ゲームの間に二転三転することもあるのです。
ですから、常になにがゴールであるかを認識していることが大切です。そして、すべてのカードとあらゆる行動をそのゴールに差し向けなければなりません。対戦相手の 2/2 を自分の 2/2 でブロックしたら、あなたはある方向へ進んだことになります。ブロックしなければ、全く違う方向へ進んだことになります。マリガンをするかしないか、クリーチャーを除去するかしないか。あらゆる選択は、闇雲になされるべきものではないのです。
かつてとある記事で、齋藤友晴が、緑は入っているが赤は入っていない(つまり、パンプアップはあり得ても火力は入っていない)デッキと対戦したときのことを読んだのを憶えています。相手は 3/3 で 4/4 に突っ込んできた。齋藤のデッキはとても攻撃的で、手札には除去があってそれを打てるマナも立っていました。99.9% のプレイヤーが、この状況だったらブロックすると思います。もし相手がパンプアップスペルを打ってきたら、対応して除去を打てば1対2交換になりますし、マナを使わせることもできます。しかし齋藤はブロックしませんでした。もっと攻撃的なプレイを選択するべきだし、そのためには手札の除去は将来のブロッカー排除のためにとっておくべきだ、というのがその理由です。彼は自分のライフも1対2交換も二の次だと考えていました。彼のゴールはできる限り速く対戦相手を倒すことで、カードアドヴァンテイジをとることではありません――そして彼は未来の利益のために、目の前の利益をなげうったのです。
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前編はここまでです。後編もなるべく早いうちにお目にかけたいところですが、なにせゲージが切れたらおしまいなので、どうなるかはちょっとわかりません。タイトルの通り #10 までありますが、後に行くほど短くなるのでこれでも全体の半分は越えています。
誤訳の指摘、あるいは自分ならこう訳すというような意見、などは全体的に歓迎します。コメント欄でどうぞ。
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脚注
(*1) 『10日間で男を上手にフル方法』
原題は "How to Lose a Guy in 10 Days"。映画。ロマンティック・コメディらしいがそれ以上は触れない。この記事の原題は ’How to Lose a Match in 10 Plays’。なんとか邦題と韻を踏んだりして訳したかったが諦めた。days と plays を対応させるのが難しい。
(*2)『グッド・ワイフ』
アメリカのテレビドラマシリーズ。主人公は弁護士。PV が使っているのはおそらく法律的に/もしくはドラマ的にお約束の言い回しで、ほぼ間違いなく日本語訳がある筈だが見つけられなかった。
(*3)ルイス
ルイス・スコット・ヴァーガス(Luis Scott-Vargas)。チャネル・ファイアボールのボスで、著者である PV のチームメイト。現在世界最強のプレイヤーのひとり。後に出てくる「LSV」もこの人。既婚。
(*4)コー・ブレイド
綴りは Caw Blade だから発音を片仮名に直せばこれが一番近い筈。いい加減と言われる英語の綴りにも一応規則があって、aw/au の発音は「オー」となる。これは例外が非常に少なくて、おれは今ぱっとはひとつも思いつかない。あと二重母音は長音符号を使わずに表記する方が個人的には好き。というわけでコーブレイド。一般的には圧倒的にカウブレードなのでまあ翻訳的には 100% カウブレードにすべき。PV は以前「Caw-go ってデッキ名は嫌いだ。響きが馬鹿みたいだから」みたいなことを書いていたと記憶しているが、流石にこれだけ広まると抗いようもないというところか。
(*5)カイ・ブッディ
綴りは Kai Budde。かつての世界最強プレイヤー。ドイツ人。めちゃめちゃ強かった上に図体もでかいので「ジャーマン・ジャガーノート」の異名を持っていた。史上最強のプレイヤーのひとりと見做されている。調べてないけど多分未婚。
(*6)「君は文字通り biggest barn だ」
原文は“You’re literally the biggest barn ever”。barn は「納屋」なのだけど、ここではもちろん違う意味で使っている筈で、その違う方の意味が見つけられない。ご存知の方教えてください。本筋にはくそ関係ないので興味ない人は読み飛ばして結構。そもそもこの節英語では literally だから誤解が生じる余地があるのであって、日本語に訳して「文字通り」にしちゃうと全然意味わからなくなってる。
(*7)「彼は文字通り犯罪的に過小評価されてる DI のマスター・リンガーだ」
原文は“He’s literally a criminally underrated DI master ringer.”。DI がなんだかわからない。
(*8)「権利」
原文では entitlement。この節で極めて重要な意味を持つ単語なのだけど、上手く訳せなくてもどかしい。
もうひとつ重要な単語は deserve で、これは辞書的には「……に値する」なのだけど、この段落ではおおむね「報い」「報われる」という風に訳している。一応「報い」自体は好い意味にも悪い意味にも使われる言葉なので間違ってはいないと思う。
(*9)「ティーン・タイタンズ」
Teen Titans。同名のアニメがあるので元ネタはほぼ間違いなくそれなのだが、そう呼ばれたデッキがあったのか、それとも単に強くて重いカードをごっちゃり詰め込んだ「お子様」デッキをそう総称するのかはちょっとわからず。一応 MTG Salvation のフォーラムには言及のあるスレッドがあった。それによるとエクステンディッドの《ゴブリンの溶接工》入りリアニメイターらしい。
http://forums.mtgsalvation.com/showthread.php?t=6453
原文:PV’s Playhouse - How to Lose a Match in 10 Plays
http://www.channelfireball.com/articles/pvs-playhouse-how-to-lose-a-match-in-10-plays/
今回の記事の元ネタは『10日間で男を上手にフル方法』(*1)という映画です。もしこの件について質問があっても、私は自らを犯罪者と認めることを避けるために、答えない権利を行使します(これは『グッド・ワイフ』(*2)で学んだ言い回し)。
さておき、今日の記事ではマジックにおいて試合に負ける原因になり得るミスについて、10種類に分けて説明してみたいと思います。私が考えるに、ミスを直すために最も重要なことはそのミスを認識することです。つまり、自分で自分はミスをしているとわかっている人は半分ミスを直せているようなものなのですが、それでも私がお手伝いできることがあると思います。以下に書くことは全て私が過去に犯したことのあるミスで、残念なことにいくつかのことは未だにしばしばやらかします。
#1 ちゃんとマリガンしない
ゲームの敗北の原因として挙げられるもののうち、単独で原因になりうるものとしてはマリガンが一番大きな割合を占めていることは疑いようがありません。多くのゲームにおいて、マリガンするか否かはゲーム中で最も重要な決断になるでしょう。しかし不思議なことに、マリガンはそこまで重要なものだとは見做されていません。
マリガンについて重要なことは、「灰色の部分」が他の要素に比べるとはるかに大きいということです。優れたプレイヤーを何人か集めて、ゲーム中の特定の状況を例示して議論させたら、殆どの場合おそらく正しいだろう答えにたどり着くことができます。しかしマリガンについてはそうはなりません。ある人はマリガンすべきだといい、ある人はキープすべきだといい、誰ひとりとしてどちらが正しいのか確かな答えを知りません。そしてどうすべきかは個人的なスタイルの問題だということになってしまうのです。これは必ずしも正しい答えが存在しないことを意味しません。単に誰も正答を知らないというだけのことです。
例を挙げると、ルイス(*3)と私は明らかにキープ基準が違います。私はマリガンしすぎる傾向にあり、ルイスはキープしすぎる嫌いがあります。私は自分の基準が絶対正しいと考えていますが(間違ってたら自分の基準じゃないって言い張りますけど)、しかしほんとうにそれが正しいとは言い切れずにいます。なにしろ世界で一番このゲームが上手いとみなされてる人(と、それ以外にも大勢の強いプレイヤー)が私に同意してくれないわけですから。この違いがはっきりわかったのは、世界選手権の時にルイスが私の準決勝のために吸血鬼デッキ相手のテストプレイを手伝ってくれたときのことでした(ちなみに結果的には役に立ちませんでした。マティノンがエフロを負かしてしまったので)。ある局面で、私は《定業》を打ってライブラリの上から《皮裂き》とあとなにかスペル1枚を見ました。私は4枚目の土地を置けておらず、手札には《皮裂き》がすでにありましたから、2枚とも下に送りました。しかしルイスは皮裂きを上に残すべきだというのです。私はその後土地を3枚続けて引いて、下に送った《皮裂き》が手札になかったがために負けました。別のゲームでも殆ど同じような状況になりました――確か今度は《精神を刻む者、ジェイス》が手札にいる時にやはり《定業》で《皮裂き》を見つけたのです。ルイスはやっぱり上に残せと言い、私も今回はそれに従いました。で、ドローが《皮裂き》《ジェイス》と続いて、その次にあった土地を引けないうちに死にました。強欲に行くべきか、安全に行くべきか、どちらが正しいのでしょう? なんとも言えません。どちらもそれぞれに正しい状況があるからです。マリガンについても同じことが言えます。
こういう曖昧な部分があるために、「正しい答えなんてないんだから、つまりこれは完全に個人のプレイスタイルの問題なんだ」と理解してしまっている人が居るのですが、私はそう思ってしまうことこそが最大の問題だと考えています。それは完全な誤りというわけではありません。きわどい手札であれば、個人的なスタイルによって答えが左右されることももちろんあるでしょう。でもとんでもない手札をキープしてしまうプレイヤーは実際に居ます。少し前にリミテッドのグランプリのカバレッジ記事を読んでいたら、1ゲーム目に土地7枚の初手をキープして、2ゲーム目には土地6枚と《法務官の相談》という初手をキープしているというプレイヤーがいました。これはプレイスタイルの問題ではあり得ません。単に間違っています。ええと、この例だと完全確実に間違いとは言い切れませんね。こうしましょう――相手のライフが3点の時でも相手のクリーチャーに《稲妻》を打つのは個人のスタイルの問題か?という話です。あるプレイスタイルは、別のプレイスタイルを完全に上回っていることがある、ということです。
マリガンが適切にできるようになる頃には、マリガンという行為が何を意味しているか理解できている筈です。マリガンとはつまり、1枚カードを失ってでもゲームに勝てる可能性を高めるための選択です。単に手札がよくないから取り直す、というものではありません――好い初手でもマリガンしなきゃならない時もありますし、悪い初手でもキープしなくてはいけないときもあります。
個人的な意見ですが、マリガンに関してリスクが高すぎる選択をするプレイヤーが多い気がします。特に、2マナ域にキー・カードが入っているデッキではその傾向が顕著です。初手に土地が1枚しかないハンドが来るたびに、その2マナのキー・カードの誘惑が待ち受けているからです。例えば、土地なしで《霧縛りの徒党》《霧縛りの徒党》《謎めいた命令》《謎めいた命令》と続いて、ここまではマリガンしても全く惜しくないのですが、その後が土地、《思考囲い》《苦花》と続いたりするのです。私はこういう初手は決してキープしません。もしこれをキープしたら、まあ 30% ぐらいの確率で何もできないまま負けるでしょう。ここからが間違えやすいところなのですが、仮に負けずに済んだところで、勝てるとは限らないのです! 残りの 70% というのは、マジックというゲームに参加できる可能性に過ぎません。私としてはこんな初手をキープするのはよろしくないと思いますが、これでも私が実戦で引き当てる初手に比べれば随分ましです。《思考囲い》《苦花》の初手は確かに強力です。しかし(訳注:土地が1枚しかないのであれば)、マリガンして6枚引き直した初手の期待値の方が上です。私はこの点には堅い信念を持っています。もしこの「土地1枚だけど魅力的な初手」をキープするのを止めれば、少なくともそのために敗れることは減るでしょう。
リミテッドでよくある初手としては、土地1枚ながらも2枚目の土地さえ引き当てられれば回る、というタイプのものがあります。しかしこれも「回る」の定義がどういうものかによります。例えばこんな手を見てみましょう:
《山》《感電波》《銅のマイア》《鉄のマイア》
《マイコシンスの水源》《マイコシンスの水源》《使徒の祝福》
土地1枚の初手に欲しいものがすべて詰まっています。なにもできずに死ぬことはありませんし、2枚目の土地を引き当て次第すぐにでも動き出せます。というわけで、キープしましょうか? いいえ!! この手札は最悪です。この手札の最大の問題は土地が1枚しかないことではありません。何もできないことこそが問題なのです。この手をキープして、すぐに2枚目の土地を引き当てたらどうなるか想像してみてください。できるようになることといえば……さらに土地を伸ばすことだけです! それに加えて、単純に2枚目の土地を引けないまま負ける可能性と、マナを伸ばすためだけにマナを費やしていってぐだぐだになる可能性を考えると、おめでとうございます、あなたは土地事故と逆土地事故が両方ありうる初手をキープしたことになりました! 私だったら先手だろうと後手だろうとこの手札はキープしませんが、多くのプレイヤーは「《感電波》で時間が稼げるし、もう1枚土地を引きさえすればどのスペルも唱えられるようになる」と主張することでしょう。
もうひとつマリガンがゲームの敗北につながるパターンとしては戦略的なものがあります。多くのプレイヤーはマリガンに対して病的な恐怖を抱いているように思われてなりませんが、マリガンというのは単に初手が悪くてそれよりよくなる見込みがあると思えたらその手札を山札に戻すというだけのことです。
私が思うに、「フェアリー」のミラーマッチや「コー・ブレイド」(カウ・ブレード)(*4)のミラーマッチでは、プレイングの腕よりも、悪い初手をきちんとマリガンできるか、の方が勝敗に与える影響が大きいと思います(特にコー・ブレイドにおいて顕著です)。
#2 対戦相手がなにをしているか考えない
マジックは2人用のゲームで、対戦するふたりの間には常に相互作用があります。試合中、自分だけが競技者であるかのように振る舞うプレイヤーは決して強くはなれません。対戦相手は理性的な存在であるということをまず理解しなくてはなりません。相手は自分にとってなにが最良であるかを考えながら、その考えに基づいてプレイを選択しているのであって、決して適当にやっているわけではありません。このことが理解できれば、対戦相手の手札やゲームプランを推測することができるようになりますし、手札にないカードをさも持っているように思わせたり、対戦相手にあなたの得になるようなプレイをさせることさえできるのです。
対戦相手が何を持っているか明らかにわかるようなプレイをしてくることは時々あります。たとえば、「ヴァラクート」デッキを使っている対戦相手が1ターン目に《広漠なる変幻地》を生け贄に捧げて《山》を持ってきたら、相手の手札に《森》が少なくとも1枚、おそらくは2枚あることは殆ど明らかです。持っていなければ、《広漠なる変幻地》で持ってこない理由がありません。
それ自体は大して役に立つとも思えないかも知れませんが、しかしどんな小さな情報でも意味はあるのです。もちろん、演繹的な思考の連鎖の方が重要なのですが。――もし相手が《森》を持っていなければ、《森》を持ってくる筈です。《森》を持ってこなかったということは、実際に《森》をテーブルに置かれたのと殆ど同じくらい確実に、手札に一枚あるということです。もし次のターン、相手が《不屈の自然》でもう一枚《山》を場に出すようなら、たぶん手札にはもう一枚《森》があるでしょう。そうすると、《広がりゆく海》を《森》に貼っても緑マナを潰すことは難しそうです。《海》は《溶鉄の尖峰、ヴァラクート》のためにとっておいた方がいいかも知れません……といった具合に。
M12 のリミテッドをプレイしていて、手札に《踏み荒らし》があったら、クリーチャー同士の交換は避けたいでしょう。ではもし対戦相手がクリーチャーの交換をしてこなかったら? もしかすると相手は《踏み荒らし》を持っているのかも知れません。単純な話です。
時にプレイヤーは、もし少しでも対戦相手の視点に立ってゲームを考えていれば決して考慮する必要のなかったカードについて思い悩んでしまったりすることがあります。大昔のことですが、私はブラジル選手権予選の試合を地元のお店で観戦していました。赤緑対黒赤の対戦で、一方が《抹消》を打ってゲームが振り出しに戻ったところでした。(《抹消》はこのマッチアップではひどいカードだと思いますが、まあここではおいときましょう。)赤緑のプレイヤーは3枚目の土地を置いて、《獣群の呼び声》でトークンを出して、次のターンにはそのトークンで攻撃して相手のライフを2まで減らしました(これでライフは2対2です)。そして3マナを立てたままターンを渡しました。相手はアンタップして、4枚目の土地を置き、手札にある《火炎舌のカヴー》と《燃え立つ死霊》の2枚をじっと見つめたまま長考に入りました。明らかに簡単に下せる決断ではありません。それでも彼は最後には心を決めて、4枚の土地をタップすると《燃え立つ死霊》をプレイしました。赤緑のプレイヤーは何も持っておらず、黒赤のプレイヤーは勝利を決めて安堵のため息をもらしました。終わるなりプレイヤーの友人が訊きました――「なにをそんなに考え込んでたの?」「いや、《ショック》があるんじゃないかと思ってさ……」「ショックがあったらおまえに打ってるよ!」「あ、ほんとだ……」 それまでのプレイを見ていれば持っている筈のないカードにおびえることのないようにしましょう。
ここまでできたら、次のレベルに進みましょう。あなたの対戦相手も、あなたが理性的な存在であることを理解している、ということを理解することです。対戦相手もまさにあなたがやろうとしていることをやろうとしているわけです――あなたの行動から、どういうプランを進めているのかを知ろうとしているのです。昔カイ・ブッディ(*5)が書いたレポートでこんな場面がありました。対戦相手が4枚目の《沼》を置いてから 2/2 でブッディの 6/6 のドラゴンに突っ込んできたのです。カイはその場面について「もし《泥沼病》を持っているなら、どうしてわざわざ《沼》を戦闘前にプレイしたりするだろう? ブロックの一手だ!」と書いています。ここではカイは対戦相手が理性的な存在であることを理解し、相手もまた自分が理性的な存在であることを意識していることをも計算に入れています。もしブロックさせる意図があるのなら、可能な限りそのブロックが危険な選択肢であることを匂わせないようにするでしょう。まとめるとこんな風になります:
レベル1――対戦相手はアタックして《泥沼病》との合わせ技でドラゴンを仕留めなければならないことを理解しています。
レベル2――対戦相手は、もし4枚目の《沼》をプレイすれば、カイがブロックする可能性が下がることを理解しています。なぜならドラゴンを仕留めるのに必要な「《沼》と《泥沼病》」という組み合わせのうち、一方を持っていることを明らかにしてしまうから。
レベル3――カイは対戦相手がレベル2まで理解していることを知っています。だからこそ、「戦闘前に《沼》を置いたから、彼は《泥沼病》を持っていない」という結論に達することができるのです。
もちろん、その対戦相手はカイと互角の思考をしていて、カイが「レベル3」の考えにまで至っていることをわかっているかも知れません。しかし、それほどのマスター同士の対戦というのはあまりありそうなことには思えません。
補遺:2011 年4月9日、「マスター」は「あまりにもマジック界で濫用されすぎたために意味を失ってしまった単語リスト」入りを果たしました。マジック界のためにも、ここでリスト入りしている単語の適切な使い方を説明させてください:
マスター(master):マスターであるということはマジック全般もしくは特定のデッキに関して大変に大変に優れているということです。「グランドマスター」みたいな呼び方が登場しない限りは、誰かをマスターと呼ぶということはその人が世界中の殆ど誰よりも優れていることを意味します。あるデッキを使って小さなトーナメントをひとつふたつ優勝する、程度ではマスターと呼ばれるには程遠いです。
リンガー(ringer):リンガーは見えざる実力者のことを指します――強いのですが、誰もそのことを知らないのです。私の理解が正しければ、この言葉は例えばプロの選手が学生に変装して高校野球に出る、みたいな時に使われる言葉であったと思います。単に「実力者」を指す言葉ではありません。LSV やブラッド・ネルソンはリンガーではありませんし、もう長いことリンガーではあり得ません。みんなが強いことを知っているからです。ここでの「みんな」があなたの知り合い全員という意味ではないことに気をつけてください。あなたの友人のひとりがとても強かったとして、誰もそれを知らなかったとしてもリンガーではありませんからね。「犯罪的に過小評価されている」という言い回しとセットで使われることが多いです。
グラインダー(grinder):グラインダーは単に死ぬほどマジックをやりこんでいる人です。上手いか下手かは関係ありません。
文字通り(Literally):「文字通り」には強調の意味はありません。後ろに来る単語に重要性を持たせる言葉ではないのです。「文字通り」というのは、つまり言葉の意味が書かれている通りだということです。「僕が食べた中で文字通り一番素晴らしいものだった」という文はそれが本当においしかったということを意味せず、単に人生を通じてそれよりいいものを食べたことがないということです。「彼は文字通り負けたことがない」というと生涯成績が無敗ということになります。「君は文字通り biggest barn だ」(*6)といったなら、あなたは大変巨大な建築物でその中に穀物をしまっとける、ということです。「《ステップのオオヤマネコ》に文字通り殺された」だとあなたは既に死んでいますからそんなことは言えません――そしてそんなヤマネコには近づくべきではありませんでした。
ここまでの単語や言い回しを組み合わせるとこんなパワフルなセンテンスが作れます。「彼は文字通り犯罪的に過小評価されてる DI のマスター・リンガーだ」(*7)
#3 「権利」(*8)の感覚をもとに行動してしまう
誤解しないでください――「権利」の感覚を持ってはいけないということではないのです。世の中では権利とか報いとかいう単語は害毒みたいに語られていますが、実際のところそんなことはありません。以前ブラッドが「報い」なんてものがいかに幻であるかについて記事にしていたことがありますし、ギャヴィンは記事の出だしを「報い? 報いなんてどこにもない。」で始めていたこともあります。私は同意できません。私は自分が優れたプレイヤーだと思っていますし、そうなるために長い時間と強くなるための多くの努力を重ねてきました。デッキの選択には慎重に時間を費やしますし、選択のための理由が感情を押さえ込めるように自分をコントロールしています。こういったことが報われてはいけない理由があるでしょうか? もしミスの上にミスを重ねている対戦相手と対戦したら、その相手はやはりミスの報いとして負けるべきではないでしょうか? それはすなわち、ミスを重ねずにプレイできたのなら、その報償として勝利が得られるべきだ、ということにはならないでしょうか?
対戦相手が、現環境の8割のデッキに勝ち目がない白単のライフゲイン・デッキを使っていたとしたら、彼はやはりその選択の報いとして敗れるべきではないでしょうか。私は敗れるべきだと思います。人は、マジックにおける正しい決断に対しては報償を得るべきですし、誤った決断については罰を受けるべきだと考えています。私から見ればひどい選択だとはっきり判るようなデッキを使っているプレイヤーが、対戦運や引きに恵まれて勝っているのを見るといらいらします。私の努力までもがおとしめられたような気がするからです。正しい選択をした人が勝っていると、努力しようという気になります。逆に誤った選択をしたために敗れた時にも、やはりもっと努力しようという気になれます。間違った選択をしている人が勝つのを見ると……ええ、まあ。
強調したいのは、あなたが「報われる権利がある」という感覚を持ってはいけないということです。あなたがあることに対して時間をかけて努力を重ねたのなら、当然その努力は報われるべきだと感じると思います。しかし、その感覚がプレイに影響を与えることはなんとしても避けなければなりません。あなたの努力がどれほどのものであるかは、何が起きるべきかには全く影響しませんし、実際それが起きるとも限りません。私は自分が報われるべきだと感じているプレイヤーをたくさん見ていますし、それだけたくさん居れば実際に報われるプレイヤーもいるでしょう。あなたも報われるかも知れませんが、しかしながら「努力」と「試合中に起きること」には何の相関関係もありません。実際に行われているゲームの中では、報いなんてのは見当違いの概念です。「相手がもう一枚《踏み荒らし》を持ってるなんてあり得ない。ばかばかし過ぎる」などというのは敗北につながる実に素晴らしい考え方です。「さっきのゲームでは9枚連続土地を引けなかったから、今回は土地1枚の初手をキープするよ。土地引き運が溜まってるはずだから。」うん、そうでしょうとも。
この教訓が骨身に沁みたのは、青白の「ストーム」デッキを使ってプロツアーの予選に出ていた時のことです。対戦相手は「ティーン・タイタンズ」(*9)デッキで、当時の私よりも明らかにはるかに腕の落ちるプレイヤーでしたが、引きがかみ合っていて1ゲーム目を取られてしまいました。2ゲーム目の私の初手は土地1枚でした――そこで私は、相手のプレイングはひどいのだから、このゲームは私が勝つに値するのだと考えて、その手をキープしてしまいました。3ターン後には私は棄権していました。そして、対戦相手のプレイングがいかにひどいかということを誰も気にしていないことに気がつきました。
おかしなことですが、大抵の場合、同じプレイヤーが、もっと強い相手と対戦する場合には適切なプレイをできるのです。対戦相手が強いプレイヤーの時は、「相手は《否認》や《安全な道》を持っているかも知れない」と考えるために、それらの呪文を回避することができます。しかし弱いプレイヤーを相手にしていて、そして彼がひどいミスを犯した後なんかだったりすると、「ぷぷ、どうせ《安全な道》なんて持ってるわけないよ……今のターンに引いてなきゃいけないんだ……あり得ない……あんなミスをしたんだから、その報いを当然受けなきゃいけないだろ……」となってしまいます。
まとめると、努力が勝利で報われることはない、などと思う必要はありません。しかし同時に、その報いがあなたを当然勝たせてくれるのだと考えてはいけません。その甘えた考えの代償――逆の意味の「報い」はすぐにでもやってくることでしょう。
#4 ゲームを全体的に考えない
数ヶ月前、ポルトガル語を勉強するために1年間ブラジルに滞在している中国人のグループに、友人経由で紹介されました。何回か会った後、私は彼らと夕食を共にし、その席で「これまでなにをしてきたか」という話題になりました。話の途中でひとりの女の子がこう聞いてきました。「それで、この【マジック】ではなにが一番重要なの?」
多分運と技術のどちらが重要なのかと訊きたいのだろうと私は考えて、少し笑いながら、自分の頭を指差して答えました――「頭脳だよ」。彼女はもう少し詳しく知りたがりました。私は彼女にチェスでは何が一番重要だと思うか訊ねました。こう訊けば「ああ、わかったわ」とかなんとか答えるだろうと決めてかかっていたのですが、彼女は少し間を置くと、正しい言葉を頭の中で探しました。なにしろ彼らはやっとポルトガル語を少々しゃべれる程度で、それも彼らにとっては簡単ではないらしく、流暢とはほど遠い口調でした。それからようやく、「ええと、チェスで重要なのは、次に、その次に、さらにその次に、何が起こるのかを考えること」というようなことを言いました。
その答えを聞いて私は自分が馬鹿なことを言ったと思いました。どこかで彼女を見くびっていたのかも知れません。明らかに彼女は運ゲーかどうかなんてことを聞きたかったのではありませんでした――どういう要素が重要なのかを知りたかったのです。私は答えようとしましたが、答えが出てきませんでした。とても奇妙な気分でした。私の場合、人にマジックについて訊かれて答えに詰まってしまう時は、殆どは答えを知らないのではなくてただどう答えていいかわからないのです。例えば、私はたしかにマジックが何であるかを知っています。でも、それを人に説明しようとするためには多大な努力を要します。
でもこの質問については、単純に私には答えがわかりませんでした。あなたはどうですか?
私はこの会話のあと少し時間をかけて考えてみたのですが、「このマジック」において一番重要なことは、ゲームをひとつひとつの行動の集積としてではなく、全体として考えることだ、という答えを考えつきました。これはチェスについても全く同じことが言えて、彼女の答えは不完全であったと思います――チェスにしてもマジックにしても、重要なのはひとつひとつの動きはすべて大きな全体の絵の中の一部であって、孤立した行動ではないのだということを理解することです。そうするためには、プレイヤーは「次に、その次に、さらにその次に、何が起こるのかを考え」なければなりません。
マジックにおいてはもちろん、10ターン後にゲームがどうなっているのかを予期することは非常に困難です。非公開情報が多いからです。しかし、だからと言って全く判断材料がないかというとそんなことはありません。私はチェスは下手で、そんなに先の手までは読めないのですが、マーテルが私にチェスを教えるときに3つのポイントを教えてくれました。駒を前進させること、盤の中央を支配すること、キングを守ること。私は駒を動かすとき、正確にその後どういう手が続くかは読めないにしても、その動きによって自分がその3つのゴールに向かっているかどうか、あるいは相手がゴールに向かうことを妨げているかどうかを判断することができます。
マジックでも同じです。私はチェスよりはマジックのほうがずっと上手いですが、それでもそんなに先の「動き」を読むことはできません。そうするだけの情報が足りないからです。ですから、プレイというのはゴールに向かっていくことを心がけなければなりません。ここからがチェスと大きく違うところです。マジックでは、局面ごとにゴールが変わり得ます。時には1ゲームの間に二転三転することもあるのです。
ですから、常になにがゴールであるかを認識していることが大切です。そして、すべてのカードとあらゆる行動をそのゴールに差し向けなければなりません。対戦相手の 2/2 を自分の 2/2 でブロックしたら、あなたはある方向へ進んだことになります。ブロックしなければ、全く違う方向へ進んだことになります。マリガンをするかしないか、クリーチャーを除去するかしないか。あらゆる選択は、闇雲になされるべきものではないのです。
かつてとある記事で、齋藤友晴が、緑は入っているが赤は入っていない(つまり、パンプアップはあり得ても火力は入っていない)デッキと対戦したときのことを読んだのを憶えています。相手は 3/3 で 4/4 に突っ込んできた。齋藤のデッキはとても攻撃的で、手札には除去があってそれを打てるマナも立っていました。99.9% のプレイヤーが、この状況だったらブロックすると思います。もし相手がパンプアップスペルを打ってきたら、対応して除去を打てば1対2交換になりますし、マナを使わせることもできます。しかし齋藤はブロックしませんでした。もっと攻撃的なプレイを選択するべきだし、そのためには手札の除去は将来のブロッカー排除のためにとっておくべきだ、というのがその理由です。彼は自分のライフも1対2交換も二の次だと考えていました。彼のゴールはできる限り速く対戦相手を倒すことで、カードアドヴァンテイジをとることではありません――そして彼は未来の利益のために、目の前の利益をなげうったのです。
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前編はここまでです。後編もなるべく早いうちにお目にかけたいところですが、なにせゲージが切れたらおしまいなので、どうなるかはちょっとわかりません。タイトルの通り #10 までありますが、後に行くほど短くなるのでこれでも全体の半分は越えています。
誤訳の指摘、あるいは自分ならこう訳すというような意見、などは全体的に歓迎します。コメント欄でどうぞ。
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脚注
(*1) 『10日間で男を上手にフル方法』
原題は "How to Lose a Guy in 10 Days"。映画。ロマンティック・コメディらしいがそれ以上は触れない。この記事の原題は ’How to Lose a Match in 10 Plays’。なんとか邦題と韻を踏んだりして訳したかったが諦めた。days と plays を対応させるのが難しい。
(*2)『グッド・ワイフ』
アメリカのテレビドラマシリーズ。主人公は弁護士。PV が使っているのはおそらく法律的に/もしくはドラマ的にお約束の言い回しで、ほぼ間違いなく日本語訳がある筈だが見つけられなかった。
(*3)ルイス
ルイス・スコット・ヴァーガス(Luis Scott-Vargas)。チャネル・ファイアボールのボスで、著者である PV のチームメイト。現在世界最強のプレイヤーのひとり。後に出てくる「LSV」もこの人。既婚。
(*4)コー・ブレイド
綴りは Caw Blade だから発音を片仮名に直せばこれが一番近い筈。いい加減と言われる英語の綴りにも一応規則があって、aw/au の発音は「オー」となる。これは例外が非常に少なくて、おれは今ぱっとはひとつも思いつかない。あと二重母音は長音符号を使わずに表記する方が個人的には好き。というわけでコーブレイド。一般的には圧倒的にカウブレードなのでまあ翻訳的には 100% カウブレードにすべき。PV は以前「Caw-go ってデッキ名は嫌いだ。響きが馬鹿みたいだから」みたいなことを書いていたと記憶しているが、流石にこれだけ広まると抗いようもないというところか。
(*5)カイ・ブッディ
綴りは Kai Budde。かつての世界最強プレイヤー。ドイツ人。めちゃめちゃ強かった上に図体もでかいので「ジャーマン・ジャガーノート」の異名を持っていた。史上最強のプレイヤーのひとりと見做されている。調べてないけど多分未婚。
(*6)「君は文字通り biggest barn だ」
原文は“You’re literally the biggest barn ever”。barn は「納屋」なのだけど、ここではもちろん違う意味で使っている筈で、その違う方の意味が見つけられない。ご存知の方教えてください。本筋にはくそ関係ないので興味ない人は読み飛ばして結構。そもそもこの節英語では literally だから誤解が生じる余地があるのであって、日本語に訳して「文字通り」にしちゃうと全然意味わからなくなってる。
(*7)「彼は文字通り犯罪的に過小評価されてる DI のマスター・リンガーだ」
原文は“He’s literally a criminally underrated DI master ringer.”。DI がなんだかわからない。
(*8)「権利」
原文では entitlement。この節で極めて重要な意味を持つ単語なのだけど、上手く訳せなくてもどかしい。
もうひとつ重要な単語は deserve で、これは辞書的には「……に値する」なのだけど、この段落ではおおむね「報い」「報われる」という風に訳している。一応「報い」自体は好い意味にも悪い意味にも使われる言葉なので間違ってはいないと思う。
(*9)「ティーン・タイタンズ」
Teen Titans。同名のアニメがあるので元ネタはほぼ間違いなくそれなのだが、そう呼ばれたデッキがあったのか、それとも単に強くて重いカードをごっちゃり詰め込んだ「お子様」デッキをそう総称するのかはちょっとわからず。一応 MTG Salvation のフォーラムには言及のあるスレッドがあった。それによるとエクステンディッドの《ゴブリンの溶接工》入りリアニメイターらしい。
http://forums.mtgsalvation.com/showthread.php?t=6453
コメント
(6)はコメント欄の
>Cody Damm says: July 28, 2011 @ 5:51 am
Another amazing article, keep it up.
Btw, calling someone a barn is not calling them a building you keep grain in. It is calling them a barnacle, aka a crustacean which latches onto a boat and doesn’t let go as a scrubby magic player might latch onto a pro and follow them around all day, give them whatever cards they need etc.
>PV says: July 29, 2011 @ 10:30 am
@cody: I know, but that word is barnacle, not barn. If you said to someone they were literally a barnacle then you’d be calling them a crustacean. AFAIK, Barn only means the building (though I could be wrong).
のやりとりから見るに「金魚のフン」的な表現なんですかね
(1)ですが
「10パターンの勝利を棒にフル方法」とか……いまいちか……
“You’re literally the biggest barn ever” means you’re a very big building we keep grains in.
「君は『我々が』穀物をしまっておける巨大な建物だ」
なので、「皆が必要としているカードを色々沢山保持していて、大会などで必要な時にはいつでも貸してくれるありがたい存在」的な意味で言おうとしているんでしょうかね?
barn の解釈、なるほどとも思いますが、わざわざここで例に挙げるからにはもっと全然違う意味があるのではないかと想像しています。根拠はないですが。
非常に参考になりました。
リンクさせて頂きました。