古い翻訳:《真面目な身代わり》プレヴュー
2011年7月31日 翻訳 コメント (3)《真面目な身代わり》すげえ値上がりしてるらしいですね!ということで初代イェンスが刷られた時の公式のプレヴュー記事。まあ本家にも翻訳あるんだけどめちゃめちゃ見つけづらいので温故知新的な意味も込めて。
ミラディン・カードプレヴュー:《真面目な身代わり》
ジョセフ・クロスビーとマイケル・J・フロレス
マジック・インヴィテーショナルの勝者がデザインするカードは、ふたつに分かれる。一方は、一部のデッキでしか使われないカードたち――《ルートウォーターの泥棒》や《森を護る者》。もう一方は、様々なデッキに採用されたカードたち――《なだれ乗り》や《翻弄する魔道士》といった面々だ。
筆者が思うに、イェンス・ソーレンがインヴィテーショナルで優勝したとき、多くのプレイヤーが、ソーレンの提出したカード《森の民》は「前者」になってしまうんじゃないか、と心配したのではないだろうか。
《森の民》は面白いし、どちらの能力も悪くない……だが、全体ではちょっとがっかり、って大抵のプレイヤーは思うだろう。
そこで、ウィザーズのR&Dはマナ・コストから青も緑もとっぱらってしまった。
金色のカード、特に本当に強力な金色のカードとなると、そのカード自身は強力なのにもかかわらず、入るデッキが無いために出番の無かったカードのことがどうしても思い出される。例えば、《影魔道士の浸透者》は、明らかに《知恵の蛇》よりも強かったが、実際には《知恵の蛇》ほどは使われなかった。《知恵の蛇》の方が、入るデッキが多かったからだ。青緑の《貿易風ライダー》デッキに、黒マナソースを足してまで《浸透者》を入れるだろうか? あるいは青単の「ドロー・ゴー」に、敢えて《沼》を足さずとも、役に立つカードは他にいくらもある。イェンスのデザインにおけるマナ・コストは、とても理に適っている(《不屈の自然》は緑の能力だし、《強迫的な捜索》は青いカードだ)が、青緑デッキとなると、いまぱっと思い浮かぶのは《不可思議》やら《野生の雑種犬》やらがわんさか入ってるデッキか、《ドルイドの誓い》から《スパイクの織り手》が出てくるようなデッキだ。《森の民》は前者の攻撃的なデッキには遅すぎるし、後者に入れるには場をコントロールする力がなさ過ぎる。ところが、これがアーティファクトとなると――おお! 勢力のマルチカラー・カード《森の民》はぱっとしないが、色マナが全く要らない《真面目な身代わり》になれば、あらゆるデッキに居場所が見つかるだろう。
デザイン・チームと開発チームが、イェンスが最初に提出したアイデアから、色マナを取り除く以外は何の修正もしなかったのに、冴えない《森の民》が、どきどきするような《真面目な身代わり》に変わってしまうのは、妙なことに思える。このカードには、ぱっと見て人を興奮させるようなところは何もない。パワー・ナインのマイナーダウン・ヴァージョンってわけでもないし、5ターン・キルのできるコンボデッキのパーツでもない。4マナでたったの2/2しかないから、格安の白のウィニー・クリーチャーや、今日日のでっかい天使やドラゴンみたいにビートダウンもできない。このカードは、新環境でのコントロール・デッキで、中核に据えるべきクリーチャーだ。
対ビートダウン・クリーチャーとして悪名高い《花の壁》や《ヤヴィマヤの古老》と並んで、《真面目な身代わり》も、戦闘フェイズが大好きな対戦相手にとって一番目にしたくないクリーチャーになるだろう。大抵の対抗カードが失敗する中で、これらのカードがビートダウンに対して役に立っているのは、戦闘やスペルでの交換をためらわせるような能力があるからだ。これらのカードが稼ぐカード・アドヴァンテージは、コントロール・プレイヤーが土地を並べる助けになり、さらに脅威に対する直接の解答となるカードを引いてくることもある。《真面目な身代わり》は、これらの「エクステンディッドでも折り紙つき」クリーチャーたちよりは重いとはいえ、必要な要素は全部持っている。土地を場に出して、脅威と1対1の交換ができる。これだけで、コントロール・デッキのするべきことが二つまとめてできている上に、カード1枚分デッキを圧縮できる。さらに、墓地に置かれた時には、もう1枚カードを引くことができる。つまり、《ゴブリンの群集追い》や《萎縮した卑劣漢》と戦闘で相討ちになったりした場合には、土地1枚とカード1枚得することになる。対戦相手は、エコーを持つクリーチャーを相手にした時のように「待つ」こともできない。コントロール・プレイヤーが4マナに届くなり、必ず多大なアドヴァンテージを稼がれてしまう。
《花の壁》と《ヤヴィマヤの古老》は、ただクリーチャーを止めるだけではなかった。これらが場に出たときの能力や、場を離れたとき、あるいは場から墓地に置かれたときの能力はぶっ壊れていた。これらは《貿易風ライダー》=《繰り返す悪夢》デッキの優秀なメンバーだった。ただでさえ能力がマッチしている上に、《ライダー》や《悪夢》とのコンボも素晴らしかった。場に出たときと、場から墓地に置かれたときの能力を併せ持つ《真面目な身代わり》も、この歴史の系譜に連ねようと考えるプレイヤーも多いだろう。スタンダードやブロック構築をやってる人なら、場に出たとき、と聞いて思い浮かべたカードは同じだった筈――《霊体の地滑り》だ。
どちらのフォーマットでもその力を発揮した「リフト=スライド」デッキは、《真面目な身代わり》の全ての能力を歓迎するだろう。マナ喰い虫のコントロール・デッキにとっては、《イェンス》はビートダウン・デッキに対する減速凹凸で、同時にコントロール・デッキに対する脅威になる。それに、マナ・カーヴにもすんなりはまるところが素晴らしい。2ターン目《稲妻の裂け目》、3ターン目《霊体の地滑り》、4ターン目に《真面目な身代わり》を出せば、5ターン目には《賛美された天使》が登場する――表向きで! おそらく、コントロール・デッキを使う対戦相手は《裂け目》や《地滑り》やその他のスペルを使ってこの真面目くんを除去したいとは思わない筈だ。ゲームの中盤から終盤にかけて、《真面目な身代わり》は《霊体の地滑り》とのコンボで、クリーチャーを毎ターン一体足止めし続けると同時に、デッキから土地だけを抜いて着実に圧縮してくれることだろう。《ティーロの信者》みたいな、《霊体の地滑り》とのシナジーがある他のクリーチャーと違って、《イェンス》は死んだ時にもさらにおまけをもたらしてくれる。
このカードはアーティファクトのデザインの掟を破っている。ウルザズ・ディスティニーが発売された後で、ランディー・ビューラーは《マスティコア》は失敗だった、と語っていた。プレイヤーがクリーチャーをアーティファクトに依存するのはよろしくない、とR&Dは考えているらしかった。筆者の思い出せる範囲では、《真面目な身代わり》は土地をライブラリーから探し出せるアーティファクトの中で、初めてトーナメント・レベルに到達したものと言えると思う。少なくともディスティニーに入っていた《ブレイドウッドの六分儀》よりははるかに強いはずだ。PTベネチアでジョン・フィンケルは、使っていたサイクリング・デッキのマナ・ベースを大幅に作り替えて、なんとかマナ加速ができるような形にしたいと考えていたようだったが、ミラディンが加入した後は、そんな心配はしなくてもよくなる。《真面目な身代わり》はたったひとつのアーティファクトとは思えないほど多芸だ。「サイカトグ」デッキには《花の壁》は入れられないが、《イェンス》は青単コントロールだろうと、黒単だろうと、ポンザだろうと、……入る可能性のあるデッキは無限にある。
《爆発的植生》がオンスロート・ブロックでどれほど強かったかは御存知だろう。だが、《植生》は点数で見たマナ・コストこそ《真面目な身代わり》と同じだったものの、使うためにはそれ用のデッキを組まなければならなかった。それに、いかに完璧にデザインされたデッキでも、4ターン目に《植生》を打ってタップアウトすることは、特に攻撃的なデッキ――「ゴブリン」やら「ゾンビ」やら「ゴブリン召集」やら「ゾンビ召集」やら――を」相手にしている時は、危険が大きいと言わざるを得ない。この新型のアーティファクト・クリーチャーなら、単純にマナ加速の面でも《植生》より大きなアドヴァンテージを稼いでくれる可能性があるし、色を選ばないし、さらにそれと同時にウィニー・クリーチャーから身を守る役にも立つ。このように汎用性の高いクリーチャーからは、あらゆるタイプのコントロール・デッキが恩恵を受けることができるだろう。その上で《霊体の地滑り》みたいに相性の好いメカニズムを使えるのなら、嬉しさも二倍になろうってものだ。
伝統的に、アーティファクトの弱点は簡単に除去されてしまうことだ。だが、繰り返すが、《真面目な身代わり》はただで除去されはしない。使い捨てのできるアーティファクトは、ミラディン後の環境では強力なパーマネントになるだろう。いくつかのスペルは、場に出ているアーティファクトひとつにつきコストが1マナずつ軽くなるという、新しいメカニズムを持っている。他にも多くのカードが、アーティファクトを追加コストにしたり、場にあるアーティファクトによって効果が変わったりする。《イェンス》が居れば、こういった恩恵は全部受けられる上に、新しいアーティファクト除去のことはあまり心配しなくても構わない。イェンスの提出した案になされた、ほんの小さな修正が、《真面目な身代わり》を強力で、使いやすくした。これはインヴィテーショナルでデザインされたカードとしては、《翻弄する魔道士》や《なだれ乗り》に続くカードになることだろう。向こう二年間、構築戦のさまざまなデッキで見かけることになる筈だ。
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原文 Joseph Crosby & Michael J. Flores
http://www.wizards.com/default.asp?x=sideboard/feature/20030910a
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プレヴュー記事では「盛る」のがお約束なんだけど、このカードは珍しく本当にかなり使われた。インヴィテーショナルカードの中でおそらく一番原案に忠実に印刷されたカードで、それでいてこのカードパワーだったのだから、歴代でもっともセンスのいいデザインと断言してしまってもいいだろう。カイ・ブッディはインヴィテーショナルカードのことを「あんなのはくじびきみたいなもんだ」とディスっていたが、本当に適切なデザインを提出できればちゃんと使えるカードを刷ってもらえるのだ。まあそれにしたって《非凡な虚空魔道士》は気の毒だったとは思う。それには同情する。
訳は今見るといまいちだが当時のおれとしてはまともな方だとも思う。面倒なので敢えて直したりはしないが、ひとつだけ書いておくと「どちらのフォーマットでも」はあんまりだ。ブロック構築とスタンダードを指していて、まあ文脈的にはわかるのだが、訳としてはひどい。あと読点が今のおれの基準からすると異常なほどに多い。8年前はこんな文を書いていたのか。
あとこれ公式の訳が出る前に書いたんだけど、本家の原文に出てるカード画像のファイル名を見て、他のカードの日本語版のカード画像のファイル名を見て、確かなんか「ja」をつければよさそう、みたいなのを発見して直打ちしてみたらほんとに見つかったので、それで正式な日本語名をプレヴューの前に知ることができた。だからどうということもないのだけど、見つけたときは結構嬉しかったのを憶えている。
ミラディン・カードプレヴュー:《真面目な身代わり》
ジョセフ・クロスビーとマイケル・J・フロレス
マジック・インヴィテーショナルの勝者がデザインするカードは、ふたつに分かれる。一方は、一部のデッキでしか使われないカードたち――《ルートウォーターの泥棒》や《森を護る者》。もう一方は、様々なデッキに採用されたカードたち――《なだれ乗り》や《翻弄する魔道士》といった面々だ。
筆者が思うに、イェンス・ソーレンがインヴィテーショナルで優勝したとき、多くのプレイヤーが、ソーレンの提出したカード《森の民》は「前者」になってしまうんじゃないか、と心配したのではないだろうか。
《森の民》
2青緑
クリーチャー――エルフ・ウィザード
2/2
森の民が場に出たとき、あなたはあなたのライブラリーから基本地形カードを
1枚探し、それをタップ状態で場に出してもよい。そうしたなら、あなたのラ
イブラリーを切り直す。
森の民が場を離れたとき、あなたはカードを1枚引く。
《森の民》は面白いし、どちらの能力も悪くない……だが、全体ではちょっとがっかり、って大抵のプレイヤーは思うだろう。
そこで、ウィザーズのR&Dはマナ・コストから青も緑もとっぱらってしまった。
金色のカード、特に本当に強力な金色のカードとなると、そのカード自身は強力なのにもかかわらず、入るデッキが無いために出番の無かったカードのことがどうしても思い出される。例えば、《影魔道士の浸透者》は、明らかに《知恵の蛇》よりも強かったが、実際には《知恵の蛇》ほどは使われなかった。《知恵の蛇》の方が、入るデッキが多かったからだ。青緑の《貿易風ライダー》デッキに、黒マナソースを足してまで《浸透者》を入れるだろうか? あるいは青単の「ドロー・ゴー」に、敢えて《沼》を足さずとも、役に立つカードは他にいくらもある。イェンスのデザインにおけるマナ・コストは、とても理に適っている(《不屈の自然》は緑の能力だし、《強迫的な捜索》は青いカードだ)が、青緑デッキとなると、いまぱっと思い浮かぶのは《不可思議》やら《野生の雑種犬》やらがわんさか入ってるデッキか、《ドルイドの誓い》から《スパイクの織り手》が出てくるようなデッキだ。《森の民》は前者の攻撃的なデッキには遅すぎるし、後者に入れるには場をコントロールする力がなさ過ぎる。ところが、これがアーティファクトとなると――おお! 勢力のマルチカラー・カード《森の民》はぱっとしないが、色マナが全く要らない《真面目な身代わり》になれば、あらゆるデッキに居場所が見つかるだろう。
デザイン・チームと開発チームが、イェンスが最初に提出したアイデアから、色マナを取り除く以外は何の修正もしなかったのに、冴えない《森の民》が、どきどきするような《真面目な身代わり》に変わってしまうのは、妙なことに思える。このカードには、ぱっと見て人を興奮させるようなところは何もない。パワー・ナインのマイナーダウン・ヴァージョンってわけでもないし、5ターン・キルのできるコンボデッキのパーツでもない。4マナでたったの2/2しかないから、格安の白のウィニー・クリーチャーや、今日日のでっかい天使やドラゴンみたいにビートダウンもできない。このカードは、新環境でのコントロール・デッキで、中核に据えるべきクリーチャーだ。
対ビートダウン・クリーチャーとして悪名高い《花の壁》や《ヤヴィマヤの古老》と並んで、《真面目な身代わり》も、戦闘フェイズが大好きな対戦相手にとって一番目にしたくないクリーチャーになるだろう。大抵の対抗カードが失敗する中で、これらのカードがビートダウンに対して役に立っているのは、戦闘やスペルでの交換をためらわせるような能力があるからだ。これらのカードが稼ぐカード・アドヴァンテージは、コントロール・プレイヤーが土地を並べる助けになり、さらに脅威に対する直接の解答となるカードを引いてくることもある。《真面目な身代わり》は、これらの「エクステンディッドでも折り紙つき」クリーチャーたちよりは重いとはいえ、必要な要素は全部持っている。土地を場に出して、脅威と1対1の交換ができる。これだけで、コントロール・デッキのするべきことが二つまとめてできている上に、カード1枚分デッキを圧縮できる。さらに、墓地に置かれた時には、もう1枚カードを引くことができる。つまり、《ゴブリンの群集追い》や《萎縮した卑劣漢》と戦闘で相討ちになったりした場合には、土地1枚とカード1枚得することになる。対戦相手は、エコーを持つクリーチャーを相手にした時のように「待つ」こともできない。コントロール・プレイヤーが4マナに届くなり、必ず多大なアドヴァンテージを稼がれてしまう。
《花の壁》と《ヤヴィマヤの古老》は、ただクリーチャーを止めるだけではなかった。これらが場に出たときの能力や、場を離れたとき、あるいは場から墓地に置かれたときの能力はぶっ壊れていた。これらは《貿易風ライダー》=《繰り返す悪夢》デッキの優秀なメンバーだった。ただでさえ能力がマッチしている上に、《ライダー》や《悪夢》とのコンボも素晴らしかった。場に出たときと、場から墓地に置かれたときの能力を併せ持つ《真面目な身代わり》も、この歴史の系譜に連ねようと考えるプレイヤーも多いだろう。スタンダードやブロック構築をやってる人なら、場に出たとき、と聞いて思い浮かべたカードは同じだった筈――《霊体の地滑り》だ。
どちらのフォーマットでもその力を発揮した「リフト=スライド」デッキは、《真面目な身代わり》の全ての能力を歓迎するだろう。マナ喰い虫のコントロール・デッキにとっては、《イェンス》はビートダウン・デッキに対する減速凹凸で、同時にコントロール・デッキに対する脅威になる。それに、マナ・カーヴにもすんなりはまるところが素晴らしい。2ターン目《稲妻の裂け目》、3ターン目《霊体の地滑り》、4ターン目に《真面目な身代わり》を出せば、5ターン目には《賛美された天使》が登場する――表向きで! おそらく、コントロール・デッキを使う対戦相手は《裂け目》や《地滑り》やその他のスペルを使ってこの真面目くんを除去したいとは思わない筈だ。ゲームの中盤から終盤にかけて、《真面目な身代わり》は《霊体の地滑り》とのコンボで、クリーチャーを毎ターン一体足止めし続けると同時に、デッキから土地だけを抜いて着実に圧縮してくれることだろう。《ティーロの信者》みたいな、《霊体の地滑り》とのシナジーがある他のクリーチャーと違って、《イェンス》は死んだ時にもさらにおまけをもたらしてくれる。
このカードはアーティファクトのデザインの掟を破っている。ウルザズ・ディスティニーが発売された後で、ランディー・ビューラーは《マスティコア》は失敗だった、と語っていた。プレイヤーがクリーチャーをアーティファクトに依存するのはよろしくない、とR&Dは考えているらしかった。筆者の思い出せる範囲では、《真面目な身代わり》は土地をライブラリーから探し出せるアーティファクトの中で、初めてトーナメント・レベルに到達したものと言えると思う。少なくともディスティニーに入っていた《ブレイドウッドの六分儀》よりははるかに強いはずだ。PTベネチアでジョン・フィンケルは、使っていたサイクリング・デッキのマナ・ベースを大幅に作り替えて、なんとかマナ加速ができるような形にしたいと考えていたようだったが、ミラディンが加入した後は、そんな心配はしなくてもよくなる。《真面目な身代わり》はたったひとつのアーティファクトとは思えないほど多芸だ。「サイカトグ」デッキには《花の壁》は入れられないが、《イェンス》は青単コントロールだろうと、黒単だろうと、ポンザだろうと、……入る可能性のあるデッキは無限にある。
《爆発的植生》がオンスロート・ブロックでどれほど強かったかは御存知だろう。だが、《植生》は点数で見たマナ・コストこそ《真面目な身代わり》と同じだったものの、使うためにはそれ用のデッキを組まなければならなかった。それに、いかに完璧にデザインされたデッキでも、4ターン目に《植生》を打ってタップアウトすることは、特に攻撃的なデッキ――「ゴブリン」やら「ゾンビ」やら「ゴブリン召集」やら「ゾンビ召集」やら――を」相手にしている時は、危険が大きいと言わざるを得ない。この新型のアーティファクト・クリーチャーなら、単純にマナ加速の面でも《植生》より大きなアドヴァンテージを稼いでくれる可能性があるし、色を選ばないし、さらにそれと同時にウィニー・クリーチャーから身を守る役にも立つ。このように汎用性の高いクリーチャーからは、あらゆるタイプのコントロール・デッキが恩恵を受けることができるだろう。その上で《霊体の地滑り》みたいに相性の好いメカニズムを使えるのなら、嬉しさも二倍になろうってものだ。
伝統的に、アーティファクトの弱点は簡単に除去されてしまうことだ。だが、繰り返すが、《真面目な身代わり》はただで除去されはしない。使い捨てのできるアーティファクトは、ミラディン後の環境では強力なパーマネントになるだろう。いくつかのスペルは、場に出ているアーティファクトひとつにつきコストが1マナずつ軽くなるという、新しいメカニズムを持っている。他にも多くのカードが、アーティファクトを追加コストにしたり、場にあるアーティファクトによって効果が変わったりする。《イェンス》が居れば、こういった恩恵は全部受けられる上に、新しいアーティファクト除去のことはあまり心配しなくても構わない。イェンスの提出した案になされた、ほんの小さな修正が、《真面目な身代わり》を強力で、使いやすくした。これはインヴィテーショナルでデザインされたカードとしては、《翻弄する魔道士》や《なだれ乗り》に続くカードになることだろう。向こう二年間、構築戦のさまざまなデッキで見かけることになる筈だ。
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原文 Joseph Crosby & Michael J. Flores
http://www.wizards.com/default.asp?x=sideboard/feature/20030910a
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プレヴュー記事では「盛る」のがお約束なんだけど、このカードは珍しく本当にかなり使われた。インヴィテーショナルカードの中でおそらく一番原案に忠実に印刷されたカードで、それでいてこのカードパワーだったのだから、歴代でもっともセンスのいいデザインと断言してしまってもいいだろう。カイ・ブッディはインヴィテーショナルカードのことを「あんなのはくじびきみたいなもんだ」とディスっていたが、本当に適切なデザインを提出できればちゃんと使えるカードを刷ってもらえるのだ。まあそれにしたって《非凡な虚空魔道士》は気の毒だったとは思う。それには同情する。
訳は今見るといまいちだが当時のおれとしてはまともな方だとも思う。面倒なので敢えて直したりはしないが、ひとつだけ書いておくと「どちらのフォーマットでも」はあんまりだ。ブロック構築とスタンダードを指していて、まあ文脈的にはわかるのだが、訳としてはひどい。あと読点が今のおれの基準からすると異常なほどに多い。8年前はこんな文を書いていたのか。
あとこれ公式の訳が出る前に書いたんだけど、本家の原文に出てるカード画像のファイル名を見て、他のカードの日本語版のカード画像のファイル名を見て、確かなんか「ja」をつければよさそう、みたいなのを発見して直打ちしてみたらほんとに見つかったので、それで正式な日本語名をプレヴューの前に知ることができた。だからどうということもないのだけど、見つけたときは結構嬉しかったのを憶えている。
コメント
>本家にも翻訳あるんだけどめちゃめちゃ見つけづらいので温故知新的な意味も込めて
たしかMTG Wikiのソーレンの記事から飛べたと思います